歴史年代ゴロ合わせ暗記  

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エルサレムは、なぜ3つの宗教の聖地なのか


 エルサレムという場所をご存知でしょうか。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集中している地域です。おおよそ東京ディズニーランドと同じくらいの広さの地域に3つの宗教の聖地があり、そのことによっていがみ合いも発生しています。

 なぜ、エルサレムの3つの宗教の聖地が集まったのか?そして、そもそも聖地って何なのか?その辺を詳しく学んでいってみましょう。

 実は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は三大一神教ともいわれ同じ神を崇めています。

 まず、初めにユダヤ教が生まれました。モーセが十戒を神から授かったのが始まりといわれており、紀元前13世紀くらいのお話です。経典は旧約聖書です。

 このユダヤ教は、ちょっと貧しい人たちには厳しすぎるところがあったので、貧しい人や弱い立場の人たちにあなたたちにも神のご加護がありますよって解釈を変えて教えを広めたのがイエス・キリストです。このキリスト教が生まれたのが1世紀。まぁ、神の言葉の捉え方が違うだけで神様はヤハウェというユダヤ教と同じ神様です。ただし、キリスト教では、父なる神と共に神の子であるイエスも信仰の対象となっています。ユダヤ教の経典が旧約聖書であるのに対して、キリスト教では、新約聖書も経典となっています。キリストが生まれる前が旧約聖書で生まれた後が新約聖書という考えですね。

 そして、7世紀にムハンマドが瞑想中に天使ガブリエルから神の言葉を授かったところから始まるのがイスラム教です。このイスラム教では、神のことをアッラーといいますがユダヤ教とキリスト教と同じ神様です。ですから、イスラム教では、実はユダヤ教やキリスト教も認めています。

 ただし、2つの宗教では、長い年月のうちに人間によって神の言葉が歪められてきたとイスラム教では考えられています。イスラム教の聖典であるコーランは基本的には翻訳も良しとしていません。人間によって曲がった解釈が加えられてしまう恐れがあるからですね。神の言葉をそのまま残しているのは、イスラムの聖典コーランのみであるという考えですね。

 このようにユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、同じ神を崇める兄弟のような宗教なのです。そして、それら宗教の聖地もイスラエルに集中しています。





 



 
ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」

 ユダヤ教の律法として旧約聖書があります。この中でユダヤ人の祖先であるアブラハムという人物が神に信仰心を問われる場面がでてきます。

 神は、アブラハムに自分の息子を生贄に捧げよと命じます。えっ、道徳的にどうなの?って我々の常識では考えられませんが、アブラハムは息子を神にささげる決断をくだします。そして、丘の上の岩に息子のイサクを横たわらせ殺す決意をするんですが、その時に神の声が聞こえてきます。「お前の信仰心は、わかったから殺す必要はない。」

 結果、アブラハムは息子の代わりに羊をいけにえに捧げると、息子と共に丘を降りていきます。ちょっと、深すぎて神の考えがわからんという人も多いでしょうが、ここにいたるまでにアブラハムは60年くらい神様とお付き合いがありましたから、信仰心を試す最終段階の訓練なんですね。究極の最終的な神の教えなわけです。まぁ、どのような言葉にもアブラハムは神を信じて従うかどうか。信仰心の最終テスト。それを見事にクリアしたわけですね。

 ユダヤ教ではこの丘の上の岩を「聖なる岩」として岩のある場所に神殿を建てました。この神殿はローマ帝国によって紀元70年に壊されていますが、現在でも神殿の西側の壁だけは残っています。これを「嘆きの壁」としてユダヤ教徒たちは聖地としているのです。

 
キリスト教の聖地「聖墳墓教会」

 キリスト教の聖地の理由は、我々日本人にもわかりやすいです。エルサレムは、イエス・キリストが十字架に架けられた場所ですからね。
 
 イエス・キリストはベツレヘムで生まれますが、パレスチナの各地で布教活動をして、その後、エルサレムにて捕らえられています。そして、十字架に架けられた場所が「ゴルゴタの丘」です。この丘にたてられたのが聖墳墓教会です。

 
イスラム教の聖地「岩のドーム」

 ユダヤ教の聖地である「聖なる岩」ですが、この岩のある場所が実は、イスラム教にとっても聖地なのです。イスラム教の開祖ムハンマドはこの「聖なる岩」の上に手をついて、そこから天に上がっていき、かつて神の声を聞いた預言者たち、イエスやモーセ、アブラハム、アダムらと会い、再びエルサレムに降りてきて、メッカに戻ったといわれています。

 この聖なる岩をイスラム教徒たちは、丸い屋根で覆い、「岩のドーム」としました。


 
エルサレムが3つの宗教の聖地である理由

 イスラム教徒とユダヤ教での聖地の由来は、同じ「聖なる岩」なんですね。アブラハムが神の命によって息子を生贄に差し出そうとした岩。その岩に触れてイスラムのムハンマドは天に昇って行ったわけですので聖地がかぶってるんですね。

 さらに、イエス・キリストが生まれるまでは、この地域にはユダヤ教が広まっており、イエスは、このユダヤ教の改革運動を行っていたわけですので活動していたのが、この地域だったわけです。ですから、捕らえられて十字架に架けられたのもおのずとこの地域になるのは当然ともいえますね。ちょっと、近すぎた感はありますけどね・・・。

 というわけで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって譲れぬ聖地がこのエルサレムに集中してしまっているというわけなんです。