歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記古代ローマの歴史>ディオクレティアヌス帝

   

ディオクレティアヌス帝

 
 284年にローマ皇帝として即位した
ディオクレティアヌス帝。彼が行った政治改革で重要なのは「四分統治(しぶんとうち)」。それからキリストの大弾圧を行ったのも有名です。

 では、このディオクレティアヌス帝について学んでいきましょう。



 彼の登場した時代のローマは「三世紀の危機」といわれローマはもうボロボロの時代でした。これをどうにかしなきゃならないということでディオクレティアヌスが行った改革が「四分統治」です。

 もう大きくなりすぎた領土をひとりの皇帝で統治するのは無理!と悟った彼は、国を4つに分けたんですね。だから四分統治。読んで字のごとくです。

 ただし、ガッツリ国を4つに分けるわけではなく、法律や経済などの面では統一ですので覚えておきましょう。

 まず、彼自身は東の皇帝として君臨します。西は、同郷でディオクレティアヌスと同じ軍人出身のマクシミアヌスに任せます。彼ら2人は共治皇帝として正帝という立場です。

 そして2人の正帝はガレリウスとコンスタンティウス1世という2人を副帝に据えました。都合、4人の皇帝によってローマは共同統治されるというシステムです。

ローマの四分統治

 以前は、北のゲルマン人や東のササン朝ペルシアなどの攻撃を受け国内に侵入されてしまうこともあったのですが、この四分統治が効を奏して外敵の侵入や属州の反乱を抑えることができるようになりました。

 また、ディオクレティアヌスはキリスト教への大弾圧を行います。なぜか?ディオクレティアヌスは、それまでの元首政から専制君主制へと政治体制を変革していたんですね。

 元首政っていうのは、簡単に言えば「他の政治家たちの言うこともちょっとは聞くよ。」っていう政治体制。専制君主制は、「完全なる独裁体制。もう、俺は神だ!」みたいな感じですね。個人が絶対的な権力を持っている体制です。

 ところが、キリスト教徒の人は「私たちの神は別にいますので、皇帝を拝むようなことはしませんよ」って平気で言っちゃう・・・。ディオクレティアヌスにしたら「こいつら、俺の言うこと聞かないで神の教えばかりで行動するから危険だな」ってことで大弾圧を行うことにするんですね。

 しかし、彼らキリスト教徒たちは、簡単に屈するようなことはしませんでした。

 そして、キリスト教徒を迫害するのは得策じゃないな。と、政策の一大転換をするのが306年に皇帝に即位したコンスタンティヌス1世(西の正帝コンスタンティ
スの息子。一文字違いなのでややこしい)です。彼はローマ帝国史上はじめてキリスト教を公認することにします。

 
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