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小学生の歴史・武士のおこりと源平の戦い


 @武士のおこり
 10世紀ごろには、朝廷は、地方の政治を
国司(こくし)という役人の人にまかせっきり、税金さえちゃんと納めていれば、ほとんど何をしてもOKってぐあいでした。

 その国司の中には、国司でいられる期間がすぎても居残り、お金や武力を蓄える人が出てきます。また、農民の中にも743年に出された
墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)「開墾した土地は永久に自分の土地にしていいですよ。という法律」によってやはり、領地やお金をため込み、それを守るために武装する人も出てきます。これが武士の始まりです。

 
A院政
 
 その頃、長きに渡って藤原氏に政権をとられていたのですが、やっと藤原氏の血すじをほとんど引いていない天皇が即位します。後三条(ごさんじょう)天皇です。
 この後三条天皇はわずか4年で天皇をやめ、
白河天皇にその座を渡します。この白河天皇も14年間天皇を続けた後、引退し上皇となるのですが、上皇となってからも政治を行いました。これを院政といいます。

 あれ、ちょっと前に摂関政治(せっかんせいじ)というのがありましたね。この摂関政治とは、摂政や関白といった役の人が天皇の代わりに政治を行うことをいいます。藤原氏は、この摂関政治によって長い期間政権を守ってきたのですね。そして、院政とは、天皇を引退して上皇となった人が行う政治です。なんで、天皇じゃなくて引退した上皇が政治を行うかって?それは、天皇にはいろいろ面倒なことがあったのですね。天皇では、個人的に武士を雇うことなどできないし、いろいろ仕事も忙しいし、決まりも多いし・・・。そこで、面倒なことに縛られず、思いっきり好きにやれる上皇という立場になって政治を行ったんだね。

 
B源平の戦い

 平氏と源氏の争いには長く複雑な歴史があるので、ごっちゃになりやすいから気をつけよう。まず、1156年の
保元の乱(ほうげんのらん)では、平清盛(たいらのきよもり)と源義朝(みなもとのよしとも)はいっしょに戦って勝利しています。しかし、平清盛が超褒められたのに、源義朝はあまり褒めてもらえない・・・。悔しい源義朝は、平治の乱(へいじのらん)といって、平清盛を潰しにかかるんだけど、残念ながら負けちゃいます。

 その後も平氏は、
日宋貿易(にっそうぼうえき)といって中国と貿易をして超金持ちに。しかも、政治の世界でも武士として始めて太政大臣(だいじょうだいじん)という立場になり、えらくなっていきます。

 もう「平氏じゃなきゃ、人じゃないね。」みたいなことを言っていたらしいので、当然反感もかいます。あまりにえらくなりすぎた、平氏は天皇家とも仲良くなくなり、ついに打倒平氏に兵をあげる人たちが出てきます。その中で活躍したのが、源義朝の子供である
源頼朝(みなもとのよりとも)や源義経(みなもとのよしつね)だったんですね。義経はゲームなんかでも有名だよね。ほら、別名、牛若丸!

 彼らは、見事、お父さんのリベンジを果たし、平氏に勝利しました。これを
源平の戦いといいます。

 源義朝、源頼朝、源義経・・・。似てる名前がいっぱい出てきちゃいましたね。整理すると、源義朝がお父さん、その子供で兄が源頼朝。朝の字を引き継いでるね。弟が源義経。こっちは義の字を受け継いでる。朝がついてるのがお兄さん。義がついてるのが弟。両方ついてるのがお父さんだよ。

>鎌倉幕府はじまりと衰退