ブラジルの歴史
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ブラジルの地には、インディオと呼ばれる先住民が住んでいました。文献として残されているブラジルの歴史は1500年から。
スペイン人のビセンテ・ヤーネス・ピンソンという人がブラジルの地にヨーロッパ人で始めて訪れることになるのですが、しかし、彼は、この地をインドと勘違いしてしまうんです。
そして、その数ヵ月後に、この地に訪れたのがポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラルという人。彼は、この地を新大陸であるとしっかり認識。そして、ポルトガルによる領有を宣言するのです。
ポルトガルによる支配
う〜ん。スペインは、かなりもったいないですね。最初に訪れていたのはスペイン人だったのに。しかも、一般的にブラジルの発見者といえばカブラルということにもなってしまっています。
まぁ、当時は、スペインとポルトガルの間には条約があり、仮にピンソンが新大陸だと認識していてもスペインの領有を宣言することは難しかったんですけどね。
それは、さておき、ブラジルには1530年から移民が進められることになりサトウキビの栽培で大いに発展します。
1578年にはポルトガルのセバスチアン王が亡くなり、スペインのフェリペ2世がポルトガルの王にも就任します。フェリペ2世はポルトガルとスペイン両国の王様になったんですね。このことから南米の地では、ポルトガルとスペインの植民地の境界を意識する必要が薄れ奥地までの探検が大いにはかどることになります。
ですが、1640年になるとポルトガルはスペインから分裂して独立を回復。南米の国境は再び復活することになります。
本当は、合併していた頃、新しく開拓した西の土地はスペインに返さなければならなかったんですけど、ポルトガルはこれを拒否。国際法で土地を有効に占有している国の方が土地の権利者となることがでるという原則があるんですが、これを盾にしてポルトガルは領有を続けるんです。
また、24年間北東部の地を占領していたオランダ人を撤退させることにも成功。これによりブラジルのポルトガル単独支配は固まります。
ですが、この頃、サトウキビの相場が下がり砂糖生産は行き詰まりを感じるようになってくるんです。しかし、1690年にブラジルに金鉱が発見されます。このゴールドラッシュで多くのポルトガル人がブラジルに押し寄せたり、それまでは海岸の農園で働いていた人も奥地へと移り住んでいきます。すると鉱山付近にも街ができ肉や革製品を売るために奥地にも牧畜が発展していくことになります。
この鉱山発見は、ヨーロッパにも影響を与えることになりますよ。採掘された金がポルトガルに送られイギリスから綿織物の購入の際の支払いに当てられる。こうしてイギリスにブラジルの金が渡り産業革命のきっかけになったんです。
ですが、やがてこの金も底をつくようになるんですね。するとあらたな収入源として登場したのがギニアから導入されたコーヒーでした。コーヒー栽培はブラジルの環境にもあっていたので、結果ブラジルは世界最大のコーヒー生産国へと成長していきます。
18世紀になるとアメリカ合衆国がイギリスから独立しますね。南米のブラジルでも「俺たちも独立しようぜ」って声が高まってきます。しかし、当時はポルトガルの力が強かったので、こういった運動も長続きはしなかったんです。
しかし、転機がやってきます。あのナポレオンです。ナポレオン指揮下のフランスにポルトガルが占領されてしまうんですね。そこでポルトガルが打った手がすごいんです。植民地であったブラジルのリオに王室を移しちゃうんですね。
こうしてブラジルのリオにて即位したポルトガル王であるジョアン6世はリオを発展させることになります。
1815年にはブラジルに本国ポルトガルと対等の権利を与えたりしています。
その後、ナポレオンが失脚した後もジョアン6世はなかなかポルトガルに帰ろうとしないんですが、再三に渡る帰国の要求に1821年、やっとのことで帰国。その際、王子のペドロをブラジルの摂政総督に命じるのでした。
1822年9月7日には、ペドロによりブラジル帝国の独立を宣言。ポルトガルは、これを認めることはせず、両国は戦争に発展していきます。ブラジルはイギリスの支援を背景に1824年戦争は終結。1825年にポルトガルはブラジルの独立を認めることになります。
ブラジルの独立
しかし、ややこしいのがペドロがブラジル皇帝であると同時にポルトガルの王子であるという事実。1826年にはジョアン6世がなくなり、ペドロがポルトガルの王位を継承することになります。こうなると、ブラジル、ポルトガルを両方の王様を兼任しなけらばならないわけです。しかし、さすがにそれは無理。と、いうことで娘にポルトガルの王位を継がせることとします。
1831年には、ペドロは皇帝の座を息子のペドロ2世に譲ります。これは、ペドロの弟ミゲルが娘のマリア女王から王位を奪ってしまったため、この弟ミゲルを追い出すためにポルトガルに帰ったんです。
父親からブラジルの統治を任されたペドロ2世。彼は、学者肌で穏やかな性格だったといわれています。彼の統治の期間は半世紀ほどに及びますが、その間ブラジルは東方への領土拡張などにより広大な国土の統一が確固たるものとなりました。また、奴隷開放が徐々に行われ1888年には完全に廃止されます。
しかし、この奴隷の廃止は地主などを困らせちゃうんですね。当時、奴隷を所有していたのは、地主たちでしたからね。また、地主層は議会の多数派であったので彼らを怒らせるということは皇帝といえどちょっとピンチなんです。
そして、1889年に軍部によるクーデターによってペドロ2世は皇帝の座をおろされることとなります。まぁ、地主などからはうっぷんが溜まっていましたからね。軍が君主制の廃止と共和制の成立となえてクーデターを起こしたんですが、この変革は血を見ずに行われることになります。
この軍のクーだターによって、ブラジルは王様による政治(君主制)から、みんなで決める政治(共和制)へと変わることになります。
その後のブラジルは大統領制に変わり1930年までは憲法にのっとり選挙によって大統領が決められることになります。
しかし、1930年にヴァルガスという人がクーデターによって政権を掌握することになります。この人は、ファシズム的な考えの持ち主。ファシズムといえばイタリア、ドイツ、日本の第二次世界大戦の敗戦国のイメージが強いですよね。当然、ブラジルのヴァルガスもそちら側につくかと思いきやアメリカとの関係もあって連合国側にて参戦しています。ですから、ファシズム的な政権であったにも関わらず戦勝国となっていますよ。このヴァルガスという人は、戦後1度はクーデターで失脚させられるも再び大統領に返り咲き1954年までブラジルで君臨することになります。しかし最後はピストル自殺しちゃうんですけどね。
近代のブラジル
財政悪化や政情不安などから1964年に軍がクーデターを起こし1985年までブラジルは軍政下に置かれます。その後、再び民主化すると1988年には新憲法が出され1994年にはフェルナルド・エンリケ・カルドーゾが大統領となり経済の自由化、国営事業の民営化によりブラジル国民の平均所得は伸びました。
2003年に大統領に就任したルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァも現実的な政策でブラジルの成長に大きく貢献をしました。
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