ベトナム戦争
|
ベトナム戦争とは何が原因で起きたのか?ちょっと遡って第二次世界大戦が起こる前のベトナムから見てみましょう。
第二次世界大戦以前のベトナムはフランス領インドシナ連邦としてフランスの植民地となっていました。
しかし、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発するとドイツの快進撃もあり1940年6月にはフランスは降伏。日本軍がフランス領インドシナ連邦に進駐することになります。
ですが、その日本が最終的には敗北。その日本の敗北をうけ1945年9月、北部にホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟がベトナム民主共和国を樹立し独立することを宣言します。
この独立を認めたくないのは、勝戦国の中でも特にフランス。もともとはフランスの植民地でしたからね。フランスは南部に傀儡政権を建国。傀儡(かいらい)とは操り人形のことで、フランスの操り人形のような国を作ったんですね。そして、ホーチミンの北ベトナムと争うことになるのです。(第一次インドシナ戦争)
この戦いは8年続きましたがフランスの敗北に終わります。そして、1954年7月にジュネーブ協定により北緯17度線を境にしてベトナムは分断されることになるのでした。南ベトナムにはアメリカを後ろ盾としたゴ・ディン・ディエムという人物が大統領となり国名をベトナム共和国とします。
ところがです。このベトナム共和国(南)では政権内部は汚職まみれ・・・。政策も国民の大多数を占める農民の支持を得られるようなものではなかったので国民から不満だらけ!
ベトナム共和国がそんな感じなので北ベトナムは、武力による統一を試み南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成し内戦が始まることになります。
1961年。この状態を見たアメリカの大統領ジョン・F・ケネディは南ベトナムに4000名の特殊部隊を派遣することを決意。北ベトナムにはソ連が後ろ盾となっており、その北ベトナムが勝利してしまうとベトナムどころかドミノ倒しのように東南アジアが次々と共産化してしまう恐れがあるというのがアメリカの介入理由でした。当時は、ソ連とアメリカを中心とした共産主義と資本主義との間で冷戦の最中でしたからね。ソ連が支援する北ベトナムには勝ってほしくなかったんです。
しかし、まだこの時点では、アメリカは南ベトナムを支援をするという程度。アメリカ軍が本格的に戦争に参加していたわけではないんです。しかし、1964年のトンキン湾事件を機にアメリカは直接介入していくことになります。
このトンキン湾事件とはアメリカの軍艦が北ベトナムの警備艇に攻撃を受けたとする事件です。しかし、北ベトナム側ではアメリカが先に攻撃したと反論。まぁ、アメリカとしてはそんなのどうでもよく、兎に角、軍事介入するいいきっかけが欲しかったんでしょうね。
ちなみに当時のアメリカ大統領は、ケネディが暗殺されジョンソンに代わっています。
1965年にアメリカは南ベトナムに軍隊を派遣し、北ベトナムに大規模な爆撃を行います。この爆撃のことを北爆っていうんだけど、アメリカは北ベトナムになんと255万トンもの爆弾を落としています。太平洋戦争で日本が受けた爆弾の量は13万トンなので恐ろしい数の爆弾ですね。
ちなみにアメリカが軍隊を本格的に派遣し始めた1965年に日本と韓国では日韓基本条約というのが凍結されています。これは、一見ベトナム戦争と関係ないように思えるけど、実は大有り・・・。この辺のことは長くなるので別のページで説明しますね。
>日韓基本条約
さて、アメリカからのものすごい攻撃を受けた北ベトナムでしたが、めげるようなことはありませんでした。それどころかジャングルでのゲリラ戦を巧みに戦いアメリカ軍を撃破していきます。
結局、このベトナム戦争はソ連などの社会主義陣営がベトナムを支援し続けたこと。アメリカ軍は最大時には54万もの兵力を投入するが、ジャングル内では物資や食料の供給が困難であった為、実際に最前線で戦ったのは3割ほどだったということ。また、アメリカ本国にてベトナム反戦運動が起きたことなどが原因となり北ベトナムは大国アメリカに勝利することになります。
ベトナムからアメリカが兵を引き上げてからは南ベトナムは抵抗のしようもなく1975年4月30日。南ベトナムの大統領官邸は南ベトナム開放民族戦線によって占領され10年続いたベトナム戦争は終わりを告げました。
>キューバ危機
|
|
|
|