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アンネの日記


 アンネの日記とは第二次世界大戦中にナチスの迫害を逃れて隠れ家に潜んでいたユダヤ人の少女が書いた日記です。

 この本がなぜ世界に影響を与え、映画やアニメ、漫画にもなるほど有名になっているのか?今回は「アンネの日記」について簡単に解説していきます。



 読書感想文の題材としても人気の高い「アンネの日記」ですが、この本は「ナチスから迫害を受けて生活した悲劇の少女の日記」というだけではありません。感想文のポイントとしては、「
アンネが迫害を受けながら生活していく中で厳しい環境での人生を嘆き、やがてそれを受け入れ、そしてユダヤ人としての人生を肯定していくという成長の過程」にあります。

 さて、では、このアンネの日記の作者、アンネ・フランクの生い立ちやあらすじを見ていきましょう。

アンネ・フランクの生涯

 彼女は1929年6月12日にドイツのフランクフルトで生まれました。アンネの家族は、父親のオットー、母親のエーディト、姉のマルゴット、そしてアンネの4人家族です。

 しかし、ドイツでヒトラー率いるナチスが政権を握るとユダヤ人への迫害が始まります。アンネの父、オットーは、その迫害から逃れる為、オランダのアムステルダムに移住をするのですが、ドイツはこのオランダまでも占領。当然のごとく、オランダでもユダヤ人の迫害が始まるわけです。

 さらには、アンネの姉であるマルゴットに呼び出し状が届いたことから父親は自身が経営していた工場の事務所。そのビルの裏側の3階と4階を隠れ家として潜伏することを決意します。

 この隠れ家でアンネは13歳の誕生日に両親からもらった日記帳(アンネは日記にキティーと名前を付けた)に日記を書いていくことにします。これがアンネの日記です。

 隠れ家には、アンネと両親と姉、そして知人4人が住んでいました。ここでの生活は、7時から18時までは、歩く時はすり足で歩く、トイレは使用は禁止、窓は開けてはいけないなど息をひそめる生活。しかし、夜になれば音楽やラジオを聞いたりしてある程度の自由はあったようです。アンネの父は経営からは退いたものの工場は稼働していたため食事や本は工場の従業員が運んでくれました。また、多くの本も届けられたため、アンネはその本を読み漁っていたようです。アンネの日記の中にはこの本が26冊登場しています。

 この生活がおよそ2年間続きます。しかし、ある日、何者かの密告によりナチス親衛隊とドイツ秘密警察所属のオランダ人が隠れ家に訪れ逮捕されてしまいます。その後は強制収容所に送られ、アンネは感染病にかかり亡くなってしまいます。隠れ家に住んでいた8名の内、終戦まで生き延びたのはアンネの父であるオットー・フランクのみでした。

 父親であるオットーは、隠れ家に戻りますが、その時に一家を匿ってくれていた女性が発見し、保管していてくれたアンネが書いた日記帳を受け取りました。

 父親のオットーは、そのアンネの日記の性的表現の部分や母親との葛藤の記述を削除し出版。これが『アンネの日記』として世界中に広まります。ちなみに『アンネの日記』というタイトルは日本での題名です。戦後、実際に出版されたタイトルは『隠れ家』。アンネは将来、この日記を出版することを夢見て書いていたのですが、もしそうなったら「隠れ家」というタイトルにしたいと考えていたそうで、実際にそのタイトルでの出版となりました。

 
アンネの日記のあらずじ

 アンネの日記の最初の頃は大人に対する不信感が見てとれます。

”1942.9.28 親愛なるキティー:大人に言わせると私には何一ついいところがないんだそうです。「どんなに酷いことを言われても黙っていなさい」なんて言うの。あいにくだけど私にはそんな習慣はもっていないわ。私は大人の言いなりになんてならない。”(アンネの日記より引用)

 思春期を向かえた少年、少女なら多くの人が持つ感情ですね。大人に対する反抗です。

 ですが、ラジオから伝えられるユダヤ人に対する非情な迫害のニュースなどを耳にし日記の内容も徐々に変化が見えます。

”1942。11.20 親愛なるキティー:こうゆうニュースをどう受け止めるべきなのか、実際判断に困っています。これまでは、ユダヤ人の非情な現状を耳にしても陽気なふりをしていました。でも、時々途方もなく大きな絶望が襲ってきます。ママはいつもないています。パパも笑うことが減ってきました。でも、学んだこともあるわ。自分の小さな世界を癒せるのは結局自分しかいないということ。パパもママも怖がるなら自分でなんとかするしかないの。”

”1943.10.30 親愛なるキティー:時々私は神様が私を試そうとしていると考えることがあるの。私は他にお手本もなく、ただ自分の努力だけで立派な人間にならなくてはなりません。今の私は自分なりの意見も計画も理想もあります。キティーに約束します。どんなことがあっても前向きに生きてみせる。涙を飲んで困難に道を見出して見せると。”

”1944.3.7 親愛なるキティー:学校にいた頃の私は天国のような暮らしをしていました。裕福家庭でクラスにもたくさんの友達。そんな時に突如厳しい現実に直面することになったのはいい薬だったと思います。なぜなら、その時の私は恵まれてはいましたが幸福ではなかったと断言できるからです。不幸と無縁であることが幸福ではない。不幸の中で美しいモノを見つけられることが幸福なんだ。この心があれば、人は心の調和を取り戻すでしょう。そして、幸福な人は他の人まで幸福にします。”(アンネの日記より引用)

 精神的に自立していくアンネ。そして、ユダヤ人として苦難の時代に生まれながらも、その事、事態を恨むことなく強く生きる姿が日記から伺えます。

 また、日記には共に隠れ家生活を送っていた父親の知人の息子、ペーターとの恋も綴られています。

 厳しい環境の中で希望を見出し、恋をし、成長していく少女、アンネですが最後の日がやってきます。

”1944.8.1 私はどんなに努力をしても悪い面を外側に良い面を内側に持ってきてしまいます。なおも模索し続けます。私の理想の姿を。そういった人間にどうしたらなれるのかを。きっとそうなれるはずなんです。もしも、この世に生きているのが私だけだったとするならば。”(アンネの日記より引用)

 この日記を最後に3日後、アンネたちは何者かの密告によってナチスによって捕まってしまいます。

 その後、唯一、生き残った父、オットーによって日記は出版され多くの人々に共感を得ることになるのです。

 誰にでも困難はやってきます。そういった時、多くの人が他人のせいにしたがってしまいますよね。しかし、この少女アンネは、酷い困難の中でも強く生きようと少女なりに決意し成長していったわけです。

 世界中で読まれいるアンネの日記。まだ読んでいないという人はぜひとも読んでいただきたい1冊です。