歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記朝鮮の歴史日本による朝鮮植民地化までの流れ

   

日本による朝鮮植民地化までの流れ

 
 17世紀、この頃の朝鮮半島は中国のによる冊封体制の中にありました。しかし、19世紀に入ると東アジアでは激動の時代となります。アヘン戦争などによる清の国力低下。フランスやアメリカも朝鮮を狙い始め、また日本も朝鮮に国交を強く要求します。しかし、朝鮮は清による冊封体制の下にあることを理由に日本との国交を拒否し、日本と朝鮮との間では対立が激しくなっていくのです。

 1875年には日本軍と朝鮮軍との間で
江華島事件(こうかとうじけん)がおきます。これは、日本軍が朝鮮付近の海を測量したのに対して朝鮮軍との間に衝突が起きたのですね。この事件の翌年には、日本は朝鮮との間に不平等条約「日朝修好条規」を結ぶことに成功しました。

 この日朝修好条規により朝鮮は日本に対して釜山、元山、仁川を開港し、開港地には日本の居留地を設定しなければならず、領事裁判権を認め、関税自主権も失うことになります。

 これによって、日本人が朝鮮に渡って、米の流通を牛耳ってしまうんですね。そして、大量の穀物などが日本に輸入され、朝鮮では穀物の価格がどんどん高くなってしまう事態となります。

 1882年には
壬午軍乱(じんごぐんらん)、1884年には甲申事変(こうしんじへん)というのがおきます。

 壬午軍乱というのは、朝鮮にて当時、政権を握っていた閔氏(びんし)人物が日本と友好であったが為、それに反発するグループがクーデターを起こした事件です。結局、これには日本軍、清軍が介入し鎮圧。この事件後、日本はソウルにおける日本軍の駐留権を認めさせ、清も朝鮮に対して軍隊を指導するなど内政干渉を強めていきます。

 ちなみに、この事件の後、それまで親日的であった閔氏は内政干渉を強める清よりへと傾いていきますよ。

 そして、そのすぐ後、甲申事変が起きます。これは、朝鮮にて清の影響力が強まる中、日本と組んで近代化を目指した方がいい!というグループがクーデターを起こすのです。もちろん彼らは自分達だけでは無理なので日本の軍にも期待しています。それに対して、閔氏は清に援軍を要請します。朝鮮の人々の中でも日本につくか?清につくか?で争いが頻発した時代ですね。

 しかし、日本も清も本気で戦争を始められる状態では当時なかった。1884年といえば清はベトナムをめぐって清仏戦争を起こしていて、日本も自由民権運動の真っ只中。そこで、両国間の間で
天津条約(てんしんじょうやく)というのが結ばれます。これは、とりあえず、両国とも軍を朝鮮から軍を引き上げましょう。また、今後朝鮮への出兵する際には事前に通告をし合うことにしましょう。と約束事を設けたんですね。

 そして、10年後の1894年に
東学党の乱というのが起きます。農民が減税などを訴え起こした乱です。これを鎮圧させる為に朝鮮は清に援軍を要請します。これを見た日本も日本の公使館を守るなどの理由で出兵。しかし、この乱が鎮圧した後も清、日本共に兵を引き上げず朝鮮国内に留めていたことから日清戦争へともつれ込んでいきます。

 この日清戦争については、ご存知の通り。日本の勝利により1895年には下関条約が結ばれますね。

 下関条約の内容
1:朝鮮の独立を認めること。
(この直後、朝鮮は大韓帝国と国名を変え、独立を宣言します)

2:遼東半島(りょうとうはんとう)を日本に譲り渡す。
(中国と朝鮮の間にある半島で日本の戦略的にかなり重要な土地です)

3:台湾を日本に譲り渡す。
(これにより日本は初の海外植民地として台湾を獲得しました。)


4:澎湖諸島(ほうこしょとう)を日本に譲り渡す。
(これは台湾と中国本土の間の島々。)


5:賠償金2億両を日本に支払う。
(約3億1000万円。当時の日本の国家予算のなんと2倍以上のお金です)

6:日清通商航海条約を結ぶ
(清に欧米と同条件の不平等条約を日本とも結ばせた)


 朝鮮において重要なのは最初の朝鮮の独立を清に認めさせたというところ!これにより、清による朝鮮の冊封体制は完全に消滅。1897年には朝鮮は大韓帝国と改称することになります。

 そして、韓国併合。つまりは、日本による朝鮮の植民地化へと進んでいくのです。

李朝朝鮮の時代


閔妃殺害事件