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貂蝉・連関の計


 反董卓軍から逃れ、都を洛陽から長安へと遷都させた董卓。この新たな都の建設資金を賄うために董卓は、これまでの通貨を粗悪なものに変えて流通させます。これにより、通貨の価値が暴落。すさまじいインフレが起こり民衆の暮らしを直撃するのでした。

 ですが、董卓自身の贅沢は一向に変わらず、豪華な城に30年分の食料を蓄え豪華な暮らしを続けます。

 一見、董卓に従順であった部下の
王允(おういん)。しかし、彼は、この董卓をどうにかしなければ、国は滅びてしまうと考え董卓暗殺計画を練ります。

 王允は、一度、曹操に董卓暗殺を託していましたが、これが失敗・・・。今度こそ、成功させねば次はありません。

 王允が眼をつけたのが董卓が抱える最強の武将、
呂布でした。呂布は、もともとは丁原という部将の部下でしたが、董卓に赤兎馬と莫大な金銀財宝で誘われ、丁原を殺している過去があります。呂布の忠誠心は比較的低い・・・。ならば、彼をうまく操れれば、呂布を裏切らせ、董卓をとることができると考えたのです。

 さて、ここで王允が考えた呂布を裏切らせる策ですが、三国志演義では、
貂蝉(ちょうせん)という絶世の美女が登場します。

 中国四大美女といえば、西施(せいし)、王昭君(おうしょうくん)、楊貴妃(ようひき)、そして貂蝉なわけですが、この貂蝉、実は架空の人物です。



 三国志演義では、重要な役割を持たされ実在の人物と考える人も多いと思いますが、正史三国志では登場しておりません。

 では、この貂蝉が三国志演義では、どのような役割を果たしたのか?それが「
連環の計」です。

 まず、王允は呂布を家に招き、酒を振舞いますが、その時に貂蝉に出会わせます。貂蝉は、幼き頃に王允に歌妓として引き取られたのですが、王允は娘同様にかわいがり育てていました。

 貂蝉のあまりの美しさに呂布が見とれていると「娘を差し上げましょう」と告げる王允。呂布は一発で恋に落ちます。

 すると、王允は次に董卓に貂蝉を引き合わせます。「よろしければ、娘をもらってくださいませ・・・。」

 董卓は、貂蝉を妾として連れ帰るのですが、これに呂布は激怒!王允に詰め寄ります。しかし、王允は「董卓が無理やりさらっていったんです。本当は、私も呂布殿にもらっていただきたかったですし、貂蝉もその気であったものを・・・」

 これにより、呂布は董卓への憎悪を膨らませます。

 192年4月、献帝の病気が回復したお祝いの席にて、呂布は部下を数名入口に立たせ董卓が来るのを待ちます。董卓が到着すると呂布の部下が行くてを阻み、すかさず呂布が矛で一突き!極悪非道を尽くした董卓は、これで最後を迎えることになったのです。

 董卓の遺体が市に捨てられると、だれかが面白がり董卓の遺体の腹に芯をさして火をつけたところ、董卓の太った体からでる油で何日も燃え続けたと伝えられています。

 さて、この貂蝉の活躍ですが、物語の中では悪女として扱われているものもあります。董卓殺害の後、呂布の妻となるもその後は関羽、張飛に媚び最後には関羽によって斬られるというものなどです。

 まぁ、実際のところ、彼女は架空の人物でなわけですので物語によって貂蝉の扱いはかわってくるわけですね。

 しかし、この貂蝉が実在しないとなると、呂布はどうして董卓を裏切ったのか?

 王允と呂布。実は、故郷が一緒の西涼。これにより、話を進め、贈り物攻撃でうまく呂布をそそのかしたという説や董卓が横暴で呂布を矛で殴りつけたことがあり、それを恨んで裏切った。また、董卓の囲っている侍女のひとりと呂布が密通していたという貂蝉の連関の計に近い説もあります。

 ともあれ、呂布によって殺害された董卓。また、彼の母、妻子、兄弟らすべては殺されることとなります。

 その後、王允は、董卓に取り立てられていた蔡ヨウという人物を処刑してしまいます。才能のある人物であったために助けてあげてくれ!という声も多数出ていたのですが、王允は聞き入れませんでした。

 すると、「蔡ヨウが殺されたのならば自分たちもやばい・・・。」と感じる者たちが多く出てくるわけです。「ならば、王允を殺してしまえ!」と李カク、郭、張済、ハンチュウの4人が立ち上がるのでした。

 彼らは10万の兵で都を包囲します。呂布は奮闘しますが、最終的には袁術を頼って長安を脱出。王允とその家族らはことごとく殺害されていくのでした。

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