歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記徳川家康 

   

徳川家康 


 徳川家康(とくがわいえやす)は、1542年、三河の小大名 松平広忠(まつだいらひろただ)の長男として生まれます。

 6歳の時に尾張の織田信秀(おだのぶひで)の人質になり、後に人質交換でいったんは開放されるものの、今度は駿河の今川氏の人質として10年近くの歳月を過ごすことになるのです。



 そんな家康にもついにチャンスがめぐってきます。1560年の
桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)です。

 今川氏を破り、天下に織田信長の名を知らしめたのが桶狭間の戦い。この戦いは、信長にとっても大きな勝利であったと共に今川側いた徳川家康にとっても大きな転機となりました。

 信長軍は、地理的優位を狙い三河の桶狭間にて
今川義元(いまがわ よしもと)を倒します。三河といえば、家康の故郷。敗れた今川軍はすぐさま三河を離れ駿河に引き返していきます。その時、家康はというと、大高城へ兵糧入れや守備にあたっていたのですが、総大将の今川義元が殺されてしまい半ば孤立。撤退か?玉砕覚悟で織田軍に挑むか?すると、今川軍が管理していた岡崎城が撤退してしまい放置されているというじゃありませんか。家康は、このチャンスを逃さず、岡崎城に入城するのです。

 家康は、今川義元の子、氏真に義元の復讐戦に出向いてはどうか?と薦めますが動こうとしない。ならば、と家康は三河を平定する一方で信長と同盟を結び、ついに独立に成功します。

 こうして、長い人質生活から開放され家康は一国一城の主となりました。

 その後は、同盟を結んだ信長と共に勢力を拡大。

 しかし、その後、家康は大きな決断を迫られる事件が起きます。

 1582年。本能寺で織田信長が部下の
明智光秀(あけちみつひで)によって討たれてしまうのです。織田信長亡き後、存在感を現してきたのは秀吉

 その秀吉と信長の時のように手を組むべきか?対立すべきか?

 家康はいったんは対立の道を選びますが、その後、臣従。

 秀吉が天下を統一すると家康は、縁の深い東海地方から関東へ移動するように命じられます。これにより、家康は豊臣政権で最大の石高256万石を手にすることとなりますが(秀吉でさえ222万石)、実際は金山、銀山などおいしい場所は秀吉が独占しており、関東は北条氏の残党などが多くいたことから、家康にとって手放しで喜べる状況でもなかったようです。

 そして、1598年。ついに耐え忍んできた家康に最大のチャンスが巡ってきます。秀吉の死です。

 秀吉政権の官僚、
石田三成(いしだみつなり)に不満を抱く大名達をとり込み、1600年、関が原の戦い(せきがはらのたたかい)にて勝利。この戦いにより、豊臣家は一大名へと転落。それでも、豊臣家は大阪城、財産、武器などまだまだ侮ることができません。

 そこで、家康は豊臣家に何かと理由をつけ喧嘩をうっていきます。

 1614年。秀吉の妻、淀殿(よどどの)と子の秀頼(ひでより)に方広寺というお寺の再建を薦めます。このお寺は秀吉が建てた後に火災で焼失してしまっていたお寺。このお寺を建て直してはどうか?と薦める訳ですが、腹の中では再建でお金を使わせてやろうと考えたのです。

 そして、お寺の大仏が完成し、大仏の開眼供養の日程が決まった時、家康の更なる「いちゃもん」が始まります。

 「あれ?お寺の鐘に気になる文字を見つけちゃったんだけど、この『国家安康(こっかあんこう)』『君臣豊楽』という文字は何?」

 これを「家」と「康」を切り離し、「豊」と「臣」をくっつけるとは豊臣家の繁栄を狙い、徳川家の滅亡を願った呪いの文字だと言い放ったのです。

 とんでもない言いがかりに淀殿、秀頼は弁明もしますが聞き入れられない。そして、ついに豊臣側も兵をあげます。

 1614年の
大阪冬の陣です。

 「上手く罠にかかった。」
 
 とほくそ笑んだ家康だったでしょうが、秀吉の造り上げた大阪城は、そうそう簡単には攻略できません。また、豊臣側の真田幸村(さなだゆきむら)らの活躍もあり、家康はいったん講和を結ぶことにします。家康が提案した、その講和の条件は大阪城の外堀を埋めること。

 「外堀くらいならいいか。」

 と豊臣側が許してしまったが最後。家康側は二の丸、三の丸とどんどん、城に近い堀まで埋め立てていく。「話が違う!」と言い立ててももはや無駄で、難攻不落の大阪城は平地の上に建つ、丸裸の城となってしまいました。

 そして、1615年。豊臣側が慌てて、城を元に戻そうと堀をほっているのを見て、何勝手に戻してんの?と再び攻撃開始。

 
大阪夏の陣です。

 これにより、大阪城は炎上。淀殿、秀頼は炎の中で自害し、豊臣家は滅亡。後の長きに渡る徳川家の時代へと移っていくのです。
 





(大阪城と堀)

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