歴史年代ゴロ合わせ暗記  

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唐の2代将軍 太宗


 中国史上最高の名君のひとりといわれるの2代皇帝太宗。この太宗は父、李淵(りえん)の建国を助け、その後、皇帝となってからは「貞観の治(じょうがんのち)」といわれる善政をおこない中国史上有数の英主と呼ばれています。
 
 では、この太宗についてすこし詳しく学んでいってみましょう。



 618年にが滅ぶと長安を占領した李淵が唐を建国します。ですが、実際に活躍した事実上の建国者は次男の李世民(りせいみん・太宗)でした。

 山西の劉武周や洛陽に拠る王世充などを平定しましたからね。

 ですが、彼は次男なんです。上には長男の李建成(りけんせい)、下には三男の李元吉(りげんきつ)がいます。しかし、長男の李建成は、凡庸な人で周囲からも李世民を次期皇帝にした方がいいんじゃないか?って声が上がってくるんですね。

 すると、長男の李建成は、嫉妬と焦りを感じるんです。そして、三男と手を組んで李世民を暗殺してしまおうと企てるんですね。

 しかし、これが李世民にバレます。李世民は先手を打って、長安の北門で待ち構え、2人を殺害してしまいました。そして、その後、父にも迫り、皇帝の座につくことになります。

 ちょっと、血なまぐさい始まりですが、「玄武門(長安の北門)の変」で兄弟を殺し、皇帝に即位した太宗(李世民)。しかし、その後の政治は善政を行うことになります。

 特に彼が心がけていたと言われているのが「偏信」と「兼聴」。偏信というのは、偏った人の意見だけを聞くということです。都合のいい意見だけを取り入れるともいえますね。太宗は、これをしないよう心がけ、兼聴、多くの人から色々な意見を聞くことに務めます。

 この「偏信」「兼聴」は、もともと長男の李建成の家臣だった魏徴(ぎちょう)に太宗が名君(よい皇帝)と暗君(ダメな皇帝)の分かれ道を聞いた際に答えとして魏徴が用いた言葉と言われています。

 これら、太宗と臣下とのやりとりをまとめた物が「貞観政要(じょうがんせいよう)」という書物として有名です。徳川家康なども読んでいたといわれていますよ。最近では、企業の社長さんなどにも愛読している人が多いようです。