歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記三国志>周瑜死す

江陵の戦い・周瑜死す


 赤壁の戦いにて勝利した孫権、劉備の連合軍。孫権側の周瑜は曹操軍を追撃するべく甘寧(かんねい・劉表や黄祖に仕えるが処遇に不満を抱いて呉に仕えるようになっていた)に夷陵という場所を占領させます。

 しかし、曹操側の曹仁が6000もの軍で攻撃。甘寧は籠城し耐えます。そこに駆けつけたのが周瑜。甘寧軍の救援として軍を進め曹仁軍の半分以上を討ち取り夷陵を平定。

 勢いそのままに周瑜は、曹仁の本拠地である江陵に攻め入ります。しかし、その闘いにより方に流れ矢を受けて落馬してしまいます。一説には、その矢には毒が塗ってあったとも・・・。

 これにより、陣の中での療養を余儀なくされた周瑜。しかし、病を押してまで指揮をとる周瑜に周りの兵士たちは奮い立ち、見事曹仁軍を北へ追いやるのでした。

 これによって、周瑜は孫権から江陵を中心に南群太守に命じられます。周瑜の考えでは、その後、江陵から長江をのぼって北で待ち構える曹操を打ち破るという計画もあり、孫権に遠征の許可を得ます。

 ですが、肩に受けた矢がもととなり、36歳という若さで亡くなってしまうのでした。

 

 *江陵の戦い:赤壁に敗れた曹操は北へ敗走。夷陵を甘寧が占領するが江陵の曹仁(曹操軍)が、これを阻止するため攻撃。甘寧の応援に周瑜軍が合流し夷陵を平定。そのまま、江陵の曹仁を攻め、曹仁は樊城に撤退。


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