歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記三国志曹操VS劉備

曹操VS劉備


 曹操のもとに客将としてとどまっていた劉備。曹操は、劉備を豫洲の刺史に加え左将軍するなど劉備の才能に一目置いていました。

 しかし、その劉備が帝から劉皇叔(りゅうこうしゅく)と呼ばれ慕われている姿をみると次第に警戒していくようになります。

 また、劉備の方も次第に曹操に不信感を抱いていくことになるのです。

 漢の皇帝、献帝(けんてい)は曹操によって彼の本拠地である許(きょ)に迎えられていました(196年)。

 しかし、曹操は、その献帝をないがしろにするような行動をとっていきます。有名な話では、曹操と献帝で狩りに出かけた時の話です。大きな鹿が曹操の前に現れたので曹操は献帝の弓を使って鹿を射止めました。周りにいた人たちは、帝が鹿を射止めたと勘違いし大喜び!しかし、そこで曹操が「いや~。実は、鹿を射止めたの俺なんだよね~」と帝の面目丸つぶれ・・・。献帝は、宮殿に戻ると悔し涙を流し、指を歯で噛み血を出すとその血で曹操誅殺の密詔を書いたほどでした。

 しかし、密詔を書いたところで曹操に見つかったら終わりです。献帝は、その密詔を帯に縫い付け、信頼できる董承(とうしょう)という人物に日頃の感謝であると上着と帯をプレゼントします。

 董承は、その帯に密詔が縫い込まれていることなど知りません。ですが、ある時、その帯の上に灯心を落としてしまい帯の焦げから出てきた血の詔の存在を知ることになるのです。

 そして、帝の意をくみ董承はクーデターを画策するのですが、そのメンバーに劉備も選ばれていたのでした。



 曹操のもとに身を置いていた劉備でしたが、帝への失礼を許す人物ではありません。ですが、曹操もできる人物。曹操に疑われぬよう庭で野菜を育てて野心がないことをアピールしたりして曹操の目をはぐらかします。

 そんな劉備にチャンスが訪れます。曹操から袁術討伐の命が出たのです。さっそく劉備は、兵を挙げ袁術のいる徐州に向かいます。・・・が、なんとその袁術が病死してしまうのです。

 本当は、この時点で劉備は曹操のもとに兵を連れて戻るべきなんですけどね。なんと、劉備は、徐州を奪います。そして、関羽に城を任せ、自身は小沛という場所の城に入ってしまいます。

 もちろん曹操は激怒!劉岱(りゅうたい)と王忠義(おうちゅうぎ)を劉備討伐に向かわせます。・・・が、劉備軍によって彼らは敗れます。

 この時、劉備は「私を倒したいのなら曹操本人が来るべきだ!」と伝え、曹操はそれに答えるように軍を進めます。

 実は、曹操側としては、曹操自身が動くべきではないという意見も多くありました。袁紹にその隙を付け込まれる可能性があるからです。

 しかし、曹操は、「袁紹は、それほど鋭い人物ではないから、この機を逃す可能性は大いにあるだろう。しかし、劉備は放置すればいずれやっかいになる」と劉備討伐を決意したのです。

 実際、袁紹はこの絶好の機会にも動くことはありませんでした。

 逆にまさか本当に来るとは思っていない劉備は、曹操軍が大群で攻めてくるのを知り慌てます。

 そのため、妻も子も捨て、ただ一人で一目散に逃げるしかありませんでした。


 下邳の戦い


 白馬の戦い