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真珠湾攻撃の理由


昭和16年12月8日。日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争は始まりました。

しかし、なぜ日本は、この真珠湾攻撃に踏み切ったのでしょうか?その理由を見てみましょう。

当時の日本は日中戦争で中国と戦争をしていました。この日中戦争が長期戦へともつれ込んでしまいます。日本は、日清戦争、日露戦争でも、そうであったように短期決戦を得意としていました。なぜなら、資源に乏しいから・・・。宣戦布告から一気に攻め、ころあいをみて有利な講和条約を結ぶというのが日本の勝利への方程式でした。

しかし、日中戦争では、陸軍が政府の命令も無視してどんどん戦線を拡大していきます。拡大する戦線に対応する為、国家総動員法という「国家がすべての人的物的財産を自由にできる」などといった法律も作り、兵、財産、資源の確保に努めます。

この日中戦争においては、一応中立という立場を守っていたアメリカでしたが、1938年当時の首相近衛文博は、日本・満州・中国を統合した経済圏を作ることを示唆し、後に東南アジアをも含めた大東亜共栄圏というスローガンにまで発展します。この声明にアメリカは強く反発。やがて、アメリカは日本に石油や物資などを輸出しない!といった経済制裁にでることになります。

当時の日本は、石油の約8割をアメリカに頼っていました。そのアメリカが石油を輸出しないとなったら、もう中国と戦争どろこの騒ぎじゃありません。どうにか、日本はアメリカと交渉をしますが、アメリカの国務長官ハルは、中国から兵を引き上げ、ドイツ、イタリアとの同盟を破棄し、中国を満州事変以前の状態に戻すなら・・・。と無理な提案をしてきます。なぜなら、日本は中国と戦争に勝つために石油を欲しているのですから・・・。その中国から兵を引き上げるなど本末転倒ですものね。

1941年10月首相に就任した東条英機はついに日本海軍によるハワイのオアフ島真珠湾攻撃、及び陸軍によるイギリス領マレー半島上陸を決意し太平洋戦争が幕を切るのです。

この真珠湾攻撃を提唱したのが山本五十六。開戦時の連合艦隊司令長官です。当時の日本海軍の基本戦術は本土近海で敵艦隊を迎え撃つという守りの戦術。しかし、真珠湾攻撃では、こっちから航空機で攻めてやろうというのです。当然、軍部の中からも反対の声が出てきたそうですが、山本五十六は「真珠湾攻撃は私の信念」とまで言って真珠湾攻撃を実行に移すのでした。

この真珠湾攻撃は、艦隊4隻を撃沈。航空機231機を爆破などの功績を納めますが、燃料タンクなどの空母の討ちもらし、軍港施設を攻撃していないなどの批判も現在では聞かれます。また、最大の錯誤が最後通牒の遅れで、これにより「卑怯なだまし討ちだ」とアメリカを激怒させてしまいました。山本五十六の開戦時に大打撃を与え、戦争意欲をなくさせるという作戦とは正反対の結果となってしまうのです。

日本は、この真珠湾攻撃後、半年は快進撃を続けますが、ミッドウェー海戦にて暗号を解読され多くの熟練兵、空母、航空機を失ってからは米国の反撃にあうことになります。