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ロマノフ朝


 13世紀半ばからのロシア人は、モンゴル勢力によって支配される状態が200年もの間続きました。15世紀になりモスクワ大公イヴァン3世(モスクワ大公国)によってモンゴル勢力からの自立を果たすものの、16世紀には再びこの地は混乱することになります。

 そこで、1613年に商人や貴族に支持されて会議で選ばれたのが
ミハイル・ロマノフです。この人がロマノフ朝(1613〜1917年)の開祖となります。

 ロマノフ朝は、次代アレクセイ、3代フョードル3世と下、国家の再建や失った国土を徐々に回復させます。1670年にはコサック(騎馬に長じた戦士の集団、元は農奴だった)の首領、ステンカ=ラージンが農奴政の強化に反発し、反乱を起しますが(
ステンカ=ラージンの反乱)、ロマノフ朝はこれを鎮圧。その後に登場するのがピョートル1世です。

 ピョートル1世は、1682年にツァーリ(皇帝)に即位します。

 ピョートル1世は、シベリアを東に向かい、先住民を支配下におき領土を広げます。また、1689年には清(中国)と条約を結び、ユーラシア大陸東部の国境線を定めました。

 そして、有名なのが
北方戦争。この戦争はスウェーデンとの戦争なのですが、21年間も続くことになります。ピョートル1世は、スウェーデンからバルト海海域の覇権を持ち海の交易ルートを確保したかったのですね。この戦争のために基盤づくりとして行政改革や西欧化、海軍の創設なども行われます。

 この北方戦争に勝利すると皇帝にあたる称号であるインペラトールを議会に要求し、以降ロシアは「ロシア帝国」を名乗るようになりました。

 そして、この時代ででもう1人覚えておかなければならないのがロマノフ朝第8代女帝の
エカチェリーナ2世(在位1762〜1796)です。



 彼女の旦那はピョートル3世。第7代ロシア皇帝です。なんとエカチェリーナ2世は、旦那がまだ皇帝であった時にクーデターにより政権を奪っているんです。その後のピョートル3世は幽閉されて亡くなってしまっているのでちょっと怖いですね。

 彼女はロシアの南下政策を展開します。ロシアという国はご存知のように寒い場所にあるので南へ南へ領土を広げていきたかったのですね。時代はずっと少し後になりますが、日本とも日露戦争で争うことになりますが、この原因もロシアの南下政策を日本が警戒して起きた戦争ですよ。

 エカチェリーナ2世の頃のロシアはオスマン帝国支配下のクリミア=ハン国を打ち破り、クリミア半島を制圧。黒海はロシアの内海となりました。

 また、彼女は日本にも交易のために北海道の根室に
ラスクマンを派遣しますが、鎖国中の日本では拒否され交易の実現にはいたりませんでした。

 
モスクワ大公国

血の日曜日