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歴史年代ゴロ合わせ暗記>沖縄戦


太平洋戦争における沖縄戦とは

 
 太平洋戦争における沖縄戦。アメリカ軍では、沖縄を日本の本土攻略の重要拠点と位置づけ1945年3月26日より沖縄への攻撃を本格化させていきました。連合国側では、この作戦をアイスバーグ作戦と名づけます。

 この沖縄戦には、兵力不足を補うために多くの学生らも動員されます。

 日本の防衛軍は約12万に対して、アメリカ軍の兵員は54万8000ほど。うち上陸部隊は18万でしたが、日本側は次々に兵力を失っていきます。

 沖縄戦における経過を少し見てみましょう。

 

3月26日、アメリカ軍により慶良間列島への激しい空爆、艦砲攻撃。3月29日には、慶良間列島全島をアメリカ軍占領。

4月1日、アメリカ軍上陸。なんとアメリカ軍は上陸し、その日のうちに嘉手納、読谷(よみたん)の飛行場を占領。その後3日間で中部を制圧し、沖縄は、南北に分担されアメリカ軍は南北に兵を進める。

4月10日、アメリカ軍、津堅島を占領。

4月16日、北西海上に浮かぶ伊江島の飛行場を占領すべくアメリカ軍が攻撃開始。日本側は激しく応戦し、住民を含む4700人あまりが戦死。アメリカ側の死者、行方不明者は218人。負傷者は902人。4月21日までには伊江島全島がアメリカにより占領。

4月20日、日本側は南部の首里方面での持久戦の構えをとっていた為に4月1日のアメリカ軍沖縄上陸から20日間で中北部をほぼ制圧される。

5月31日、持久戦を展開していた首里であったがついに兵力の大半を失い日本軍は南下。首里はアメリカ軍により占領。

6月18日、日本軍は、従軍看護のひめゆり部隊に解散命令を出す。突如、戦場の中放り出される形となった彼女らは集団自決に追い込めれる。

6月23日、牛島満司令官、長勇参謀長の自決。これにより、事実上の組織的戦闘の終了。

7月2日、アメリカ軍により終結宣言。


 

 まず、沖縄中部を占領された日本軍は、同時に主力部隊の弐部隊失ったこともあり、作戦を持久戦へと変更します。南部の首里方面での持久戦を決めた日本軍。北部にはわずかな兵力しか残しておらず、20日間ほどでアメリカ軍は沖縄中北部を占領することになります。

 対する南部では激しい抵抗を見せるものの4月1日のアメリカ軍上陸から2ヶ月ほどで首里の司令部も放棄することとなり、日本軍は南下。その中で南に避難していた多くの民間人も巻き添えになることとなりました。

 この太平洋戦争の沖縄戦における日本人の死者は約19万人。そのうちの半数ほどが民間人でありました。この事実により、日本側の沖縄戦における目的は、県民の命を守ることではなく、アメリカ軍の本土上陸を遅らせるためであったということも伺い知れます。

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