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ノモハン事件


 
ノモハン事件とは、1939年(昭和14年)満州国とモンゴルとの間で国境線をめぐり発生した戦いです。

 では、このノモハン事件について少し詳しく見ていきましょう。

 1932年、日本は満州を制圧し清の元皇帝、溥儀を元首とした日本の傀儡政権、つまり操り人形のような国である満州国というのを建国させます。そして、日満議定書というのを凍結。これによって満州全土にて日本の軍隊(関東軍)は無制限で兵力を配置することができるようになります。

 その後、1937年には日中戦争に突入。こうなると、満州は軍事的に非常に重要な場所となり、その兵力は約30万人にも膨れ上がっていくんです。

 こうした日本の行動に対してアメリカ、イギリス、フランスなどは酷く批判を浴びせますが、軍事的な介入はしてこない。なので日本としてもある程度、やりたい放題状態・・・。

 しかし、満州のお隣、モンゴルとの間で小さな衝突が頻発していくようになります。当時は国境線が明確ではありませんでしたからね。そして、このモンゴルの後ろにいたのがソ連です。満州が日本の傀儡政権であったように当時のモンゴルはソ連の傀儡国家。ソ連軍がた〜くさんモンゴルにいたんです。

 もう、これは満州VSモンゴルというよりは日本VSソ連の紛争・・・。

 そして、日本は1939年4月に「満ソ国境紛争処理要項」というのを通達します。簡単にいってしまえば、国境にて紛争が発生しても絶対に負けるな!という内容。

 その翌年、モンゴル軍が満州へと越境してきます。関東軍は、これを撃破。しかし、そうなると今度はソ連軍が黙っていないわけです。ソ連から戦車などの大規模な軍が押し寄せてきます。日本の兵士もお偉いさんから「絶対に引くな!」と言われているから、やるしかない!日本側はわずかな戦車と歩兵の部隊で必死に戦うが敗北。

 その後、今度は日本の関東軍から攻撃を仕掛けますが、ソ連の反撃に合い敗北。これがノモハン事件といわれる紛争です。



 ソ連は、このノモハン事件の最中、ドイツとの間に「独ソ不可侵条約」というのを結びます。まぁ「お互いに領土を侵すことのないようにしましょう。つまり、攻めてくるな!」という条約ですね。ソ連は、日本がイケイケの状態の時に西からドイツにまで攻められたらたまったもんじゃない。ドイツとしても西からイギリス、フランスが睨みを利かせている状態で東からソ連にまで攻められたらたまらない。お互いの思惑が一致して条約を結ぶことになったんですが、この条約が成立するとドイツはポーランドに侵攻。そして、ヨーロッパでは第二次世界大戦の火蓋が切って落とされるんです。

 ところで、ノモハン事件。以前は、ずっと日本の大敗ということで伝えられてきました。しかし、ソ連が崩壊し資料が公開されるとソ連側も大損害を受けていたことがわかり以前から言われていたような日本の惨敗という結果ではなかったようです。まぁ、停戦時にソ連の要求通りに国境を直しているので、勝ち負けで言えば負けですが、戦闘では大健闘だったという見方が増えてきているようです。