歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記日露戦争は勢力分割戦争だった

日露戦争は世界戦争だった

 
 日露戦争といえば、日本VSロシアの戦争だと覚えている事と思います。しかし、実は、この戦争は世界戦争であったとも言われているのです。

 その理由を見てみましょう。

 日露戦争の発端は、義和団事件といわれています。眠れる獅子といわれた中国が日清戦争で日本に敗北。これで「あれ?中国弱くない?」と列強国がいっきに中国に勢力を広げていった時代です。列強国が中国の勢力分割(1898〜1899年)を始めたころです。中国はこれで半植民地状態となります。

 1900年。これに対して中国では民衆蜂起が発生しました。これが義和団事件です。

 列強は8ヵ国連合軍(日本、ロシア、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、オーストリア=ハンガリー)を編成しこれを鎮圧するのですが、この義和団事件鎮圧をどこの国が主となり鎮圧と収拾を行うのかは大きな問題でした。なぜなら、その後の中国利権拡大に大きな影響をもたらすからです。

 しかし、イギリスは当時、南アフリカ戦争中、アメリカはフィリピンで反米闘争鎮圧問題を抱え両国は中国に大量の軍を派遣する余力がありません。そうなると中国に大量の軍を派遣できるのはロシアとなるわけですが、イギリス、アメリカはロシアが勢力を伸ばすのは避けたいんです。

 当時のロシアは南下政策といって南に南に勢力圏を広げていました。ロシアは寒いですからね。海も冬は凍っちゃったりするんです。そうなると軍艦とかも動かない、貿易にも不便。だから南の少し暖かい土地がほしいわけです。

 ですが、イギリスだって中国進出のパイオニア。アメリカもカリブ海から北太平洋へと勢力圏を広げ、そろそろ中国の満州鉄道にも目をつけていた頃。ライバルのロシアには大人しくしておいて欲しいわけですね。

 そこに名乗りをあげるのが日本でした。日本も朝鮮半島、遼東半島、満州の権益を狙ってましたので思い切って大量の軍を中国に送り込みます。なんとロシアを上回る軍を派遣。ナイス日本!とイギリスは大喜びし、1902年には日英同盟を結びます。一方のロシアは1894年にフランスと露仏同盟を組んでおりました。

  そんな中、始まった日露戦争(1904〜1905年)。日本は、日英同盟をバックにロシアに勝利!しかし、実際は痛み分けといったところです。ロシアで革命が起こってロシアは戦争どころじゃなくなっちゃったんですね。そこにアメリカが間に入りポーツマス会議。そこで満州地方の利権について話し合いが持たれ、東清鉄道を日露両国で分割することになります。日本が貰ったのが長春から遼東半島旅順までの南満州鉄道ですね。

 つまり、日露戦争は、単純な日本VSロシアという構図ではなく帝国主義の勢力分割戦争であったというわけです。