歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記享保の改革

   

享保の改革

   
   
 享保の改革
(きょうほうのかいかく)とは、8代将軍 徳川吉宗(よしむね)の行った一連の改革のことです。1716年に就任した徳川吉宗は、幕府の財政再建の為、新田開発や倹約、また法令の整備や訴訟の円滑化をはかりました。この改革はそれなりの成果を上げることになるのですが、その内容について少し詳しく見ていきましょう。

 徳川吉宗は就任後、まず
新井白石(あらい はくせき)や間部詮房(まなべ あきふさ)をクビにし将軍自らが政治を行う家康時代の政治体制を整えます。

 そして、幕府の財政を立て直すべく、新田の開発を進め、
足し高の制(たしだかのせい)といわれる仕組みを作りました。足し高の制とは、当時役職につくにはそれなりの石高(収入)がないと付くことができず、優秀な人物が能力を発揮できませんでした。そこで、そういった優秀だけど石高の低い人物には、役職についている間は米を支給し石高を上げ役職に採用していった訳です。その代わり、役職から外れたら元に戻すっていうシステム。

 また、
目安箱めやすばこ)を設置し、農民や町人の意見にも耳を傾けました。今で言うなら総理大臣へ直接メールが送れるような感じですかね?この目安箱のお陰で、貧しい人々の為に病院(小石川養生所)や消防所(め組で有名な町火消し)が設置されました。

 さらに、裁判の基準として
公事方御定書(くじがたおさだめがき)を制定。大岡越前(若い子は知らないかも)のモデルとなった大岡忠相(おおおか ただすけ)は足し高の制によって採用された人物で南町奉行で裁判を実施していた人物です。

 
上米(あげまい)といって、大名からも1万石につき、100石の割合で米を徴収し、幕府の財政安定をはかりました。

 これら、徳川吉宗の行った一連の改革を享保の改革といい、財政の安定と幕府の威厳回復にまずまずの成果をあげることになりました。

享保の改革
民政 公事方御定書 過去の判例や慣習などを集め量刑の目安とした。上下巻があり、上巻が司法警察関係の法令を収め、下巻に刑法や、刑訴、民訴などの実体法、手続法を収めた。
財政 上げ米の制  大名の領地1万石につき、100石の割合で米を徴収。その代わり、江戸の参勤の在府期間を半年に短くしてあげる。結果、18万7000石という幕府の年貢収入のおよそ10%を確保。 
農業 定免法  年貢の率をかえないというもの。ひどい凶作の年は例外。一定期間で率を再設定。 
経済 質流し禁令  農民が借金し、担保として土地を貸した側に取られることがあったが、それを禁止した。しかし、すでに債権側に取られていた土地まで返せと農民が騒動を起こし、2年後に廃止。 



 享保の改革をさらに詳しく

目安箱

公事方御定書

上げ米の制

享保の改革・新田開発