歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記公地公民制の崩壊、その理由を分かりやすく解説

   

公地公民制の崩壊 

  
 「すべての土地と人民は天皇のものである」というのが公地公民制の考えであります。

 この天皇を中心とした国家の構想は聖徳太子の時代からありましたが、一部の豪族らの力が強くなかなか現実のものとなりません。それが、645年の大化の改新により蘇我氏を滅亡、672年の壬申の乱により敗北した大友皇子側の中央豪族らは力を削がれ、ついに701年の大宝律令の完成で実現化した訳です。

 「土地と人民は全部、天皇のもの」などと言うと、かなり傲慢のようにも聞こえますが、それまでは豪族や皇族らが別々に土地と人民を支配していたわけですから力が分散していたわけです。それを、すべて天皇のものとすることでピラミット型の強い国造りを目指した訳ですね。

 しかし、やっとのことで形となった「公地公民制」が710年の平城京が造られた頃には、いきなり崩壊の危機となります。

 なんで?と思いますよね。

 では、
公地公民制の崩壊の理由について、すこし詳しく見ていきましょう。

 当時の日本では、
口分田といって6歳以上の男子には2段(約24アール)、女子には1段120歩(約16アール)の土地が貸し出され、それらの土地で一生の間、耕作を認められました。ただし、土地は天皇のものですので当然、土地の売買は禁止、死後は国に土地を返す決まりです。これを班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)と言います。

 この土地を借りた人民には
祖・調・庸(そ・ちょう・よう)という税の義務が課せられます。この税がかなり厳しいのです。

 祖とは、他の面積に応じ収穫の約3%の稲を治める決まり。これだけなら、まだいいのですが次に調は、絹や布、糸、綿、海産物などを治める決まり、庸は労働の義務です。さらに60日を上限とした地方労働、都の警備、北九州の海辺の警備など、これらすべてを合わせるとかなり厳しい税と労働の義務な訳です。

 こんな厳しい税を課せられて、あなたならどうします?

 まず、逃げますね。逃げて田を捨て豪族や貴族の下で雑用でもやって暮らしを立てたほうが、まじめに税の義務を果たすよりもよほど楽です。そして、男が女性と偽る裏技を使う人々も増え始めます。女性の方が税は軽かったので、偽ニューハーフの急増です。また、思い切った農民の中には勝手に出家してお坊さんになってしまい税を免れるという荒業まで登場します。

 こうなってくると誰がどこに住んでいるのか?本当の性別は?年齢は?などさっぱり分かりません。これで、
公民が崩壊します。「人民は天皇のもの」などと言っても、その人民が何処にいるのか分からなければ、管理できませんからね。

 そして、農民が逃げて捨てられた土地は、荒れ放題です。当時は、ただでさえ人口が増え、土地が足りない状態だったのに、荒れた土地ばかりが増えていきます。入ってくるはずの税金も入ってきません。

 そこで、国もちょっと思い切った政策を打ちます。
723年三世一身法(さんぜいっしんほう)です。古い池や沼を使って荒れた土地を開墾した者には本人1代。新たに池や沼を作り、開墾した者には3代、孫の代までの利用を認める法律です。

 しかしながら、すごい労力を使い、結局は国に土地を返す?なんだか、いいように使われてない?ということで農民のモチベーションは上がりません。

 そして、ついに「じゃぁ、これならどうだ!」と
743年墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を打ち出します。自分で開墾した土地は永久的にあなたのものでいいですよ。だから、税は治めてね。という訳です。

 あれ?土地はすべて天皇の物じゃ?私有物にしていいの?

 そうです、
公地制の崩壊です。

 朝廷は、最終手段とも言うべき手に打って出たわけですが、結局の所、思うようにはいきませんでした。一歩上をいく、有力な貴族や寺院は逃げ出した農民達を使い自分の土地をどんどん広げていくことになるのです。
荘園の発生です。

 こうして、長い年月をかけ、やっとのことでたどり着いた
公地公民制でしたが、徐々に崩壊していくことになるのでした。


公地公民について更に詳しく

大化の改新について

壬申の乱について

大宝律令って?