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歴史年代ゴロ合わせ暗記>弘文天皇(大友皇子)

弘文天皇(大友皇子)

 
 弘文天皇(大友皇子)が即位したとされる公式な史料は残されておりません。あの日本書紀にも実は、弘文天皇の巻はないのです。

 しかし、現在第39代天皇は弘文天皇とされています。なんでなんでしょう?

 大友皇子(おおとものおうじ)といえば、壬申の乱(672年)で叔父の大海人皇子(おおあまのみこ)と皇位継承をめぐる争いとなり敗れて近江山前で自殺した人ですね。当然、王位が継承される前に自殺してしまったとしたら天皇としては認められません。

 しかし、明治に入り1870年。神武天皇から堀河天皇までの記述がある平安時代の「扶桑略記」などの文献では、大友皇子が近江朝廷で即位していたと書かれていたんですね。

 そして、幕末の尊王攘夷によってそれが強調されてきたことから、明治政府は大友皇子の即位を正式に認めることにしたのです。

 そして、大友皇子は弘文天皇というおくり名をつけられ天智天皇天武天皇の間に加えられることになりました。

 死後、1200年近くも経ってから正式に天皇と認められた大友皇子。本人もまさか!って感じかもしれませんね。