歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記>金正恩

金正恩


 北朝鮮では、1948年以来、金一族による支配が続いています。2008年に2代目主導者の金正日(キムジョンイル)が脳卒中で倒れた頃、後継者問題が注目を浴びるようになってきました。

 金正日には、3人の息子がおりますが、結果としては、3男の
金正恩(キムジョンウン)が後継者となります。なぜ、長男や次男ではなく3男の金正恩が選ばれたのか?

 まず、長男の金正男(キムジョンナム)。通常なら、長男の正男が後継者になってもよさそうですが・・・。

 彼の母親は、成恵琳(ソンヘリム)という、元女優で北朝鮮では超有名人でした。問題だったのは、彼女が韓国出身であったということ・・・。

 また、2001年には東京ディズニーランド(ユニバーサルスタジオジャパンともいわれている)に行きたかったがために偽造パスポートを使って日本に来てしまい成田空港で入管に拘束されるとう事件を起こして決定的に候補者から外れることになります。

 そもそも、正男自身が後継者になることに興味を抱いていなかったという話もありますが真意のほどはわかりません。

 次に次男の金正哲(キムジョンチュル)。彼と金正恩の母親は高英姫(コヨンヒ)。彼女も実は大阪生まれの在日ですが、北朝鮮では、この事は完全に抹消されているので特に問題とはならなかったようです。成恵琳は、超有名人だったので北朝鮮でも韓国出身であることを知っている人は知っているので問題だったんですけど、彼女はだ~れも、在日であることを知らんのですね。

 ですから、別に次男の正哲でもよかったわけです。

 金正哲を写真で見た限りではかなりイケメンでしすね。若きリーダーとして、ひょっとしたら人気が出たかもしれません。ただし、政治に関心が薄かったといわれています。彼は、本当に謎の人物で全く表に情報が出てきませんが、優しすぎる性格で主導者としては不向きであったする指摘もあります。

 そして、残ったのが金正恩という訳です。



 彼は、幼いころにスイスのベルンに留学していました。バスケットボールが好きで運動神経もよかったようです。

 2008年に金正日の健康状態がすぐれなくなってくると急遽、後継者問題も急がなくてはならなくなってきます。

 ここからは、推測ですが、おそらくは金正恩が選ばれたのは、祖父の金日成に似ていたからではないでしょうか?

 2009年1月に韓国メディアが後継者が金正恩に決定を報じて、2010年9月の党代表者会で表舞台に現れますが、金正恩の姿は恰幅が良く髪を刈り上げ若き日の金日成にそっくりな状態で現れています。

 北朝鮮の国民にとっても突如現れた若き指導者がどんな人物なのかは不安なところ・・・。しかし、その彼が北朝鮮の父である金日成にそっくりであったら安心ですね。

 ですから、次男の金正哲よりも見た目も似ており、政治的な関心も深い金正恩を後継者に選んだのではないでしょうか?急遽、後継者を選ばなければならない状態であり、次男、三男ともに経験不足であったなら、建国の父の若かれし姿に似ている正恩の方が国民も安心するという判断があったのかと思われます。

 その後は、金正日とともに公式行事や現地指導に同行するようになり、2011年12月17日に金正日が亡くなると12月29日に正式に後継者となるのでした。

 金正日は、父が亡くなってから3年喪に服し、国家主席や党総書記の座には就かなかったんですが、金正恩は2012年の4月には党第一書記と国防委員会、第一委員長に就任しています。この辺りは、実績が少ない金正恩に早々に肩書を与えて党内外から信頼を得られるように配慮されたといわれています。

 また、軍事費への負担を減らし核開発のみに集中させ、その他は経済発展のために資金を使うといった並進路線への方針を打ち出すなどといった権威付けも進められていきます。

 父とは違った政治方針を打ち出し、世代交代をアピールしたわけです。

 ただし、この新たな政治方針である「並進路線」はかなり考えられていて、ちゃんとした理由もあるんですけどね。まぁ、長くなってしまったので、その辺は、また別の機会にご説明いたします。

 ちなみに金正恩は、公式行事に妻の李雪主(リソルジュ)を連れ添うことが多いのですが、父である金正日はそうしませんでした。これも、髪型や体型同様に祖父の金日成を意識しているようです。金日成は妻と共に公式行事に出ることが多かったですからね。

金正恩の政治方針 

北朝鮮年表