歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記>ジャック・マー

ジャック・マー


 アリババの創業者で純資産は2兆円以上。中国で一番、世界でも18番目の資産家(2014年時点)と言われているジャック・マー。

 ソフトバンクの孫正義社長が早くから彼の才能に気が付き投資をしていたことでも有名ですね。

 さて、このジャック・マーですが、若いころは成績も悪く失敗続きであったと自身で語っています。



 ジャック・マーが生まれたのは1964年9月10日。中国の浙江省で産声をあげました。ジャック・マーは英語が話せますが、これは独学で身につけたものです。13歳のころ、英語の勉強がしたかったジャック・マーは、シャングリラホテルに朝早くから自転車で向かうと外国人観光客の無料ツアーガイドを行います。この生活を9年間続け英語を習得していきます。普通なら、塾に通うとか海外留学するとかですけどね。ツアーガードをかって出て英語を習得しようと考えたのですから、当時から行動力と発想力はずば抜けていたんですね。結果、身につけた英語はネイティブのような発音です。

 ジャック・マーの本名は「馬雲(マー・ユン)」です。ジャック・マーというのは、あだ名です。当時、観光客として来ていた女性と文通友達となり、英語の名前があった方がいいとういことで、その彼女が付けてくれたのがジャック・マーでした。彼女の父も夫も名前がジャックだったのでジャック。そして、本名のマー(馬)をつけただけですね。

 さて、独学で英語を習得するほどですから、さぞや勉強もできたのだろうと想像できますが、実は、大学入試に2度失敗しています。

 しかし、得意の英語のおかげで杭州師範学院外国語学部英語科に入学。師範学院を卒業すると杭州電子工学大学の講師として英語と国際貿易を教えます。

 世界経済フォーラムでジャック・マーは、師範学院を卒業した後、本当は、別の就職を探したけれども、次々に落とされたというような内容の話をしています。警察官の試験では5人中4人が受かったが自分だけ落とされた。ケンタッキーフライドチキンの入社試験では24人中、やはり自分だけが落とされたと話しています。自身で語ってはいますが、リップサービスの可能性もありますので真相は不明ですが・・・。

 さて、大学で講師をしながらも、ジャック・マーは海博翻訳者という翻訳会社を設立します。ここでも英語が話せることが役立っているんですね。

 この仕事を通じてジャック・マーはアメリカでインターネットに触れることになります。

 この経験により、インターネット事業の可能性を感じ取ったジャック・マーは中国に帰るとさっそく動き出します。

 1995年5月9日。最初は、友人1人と妻と自身の3人だけで始めています。このインターネットビジネスは中国の企業と契約を組み、その企業の資料を英語に直して、国際スピード便でアメリカに送り、アメリカでの提携企業がそれをネットに掲載するというものでした。「中国イエローページ(黄頁)」の誕生です。

 しかし、これ実は、メチャメチャ無謀ともいえる挑戦なんです。

 なぜならインターネットなんて中国では、まだほとんど知られていない時代。というか、ネット回線自体が中国では充実していない時代です。Windows95の発売がアメリカ版で1995年8月。日本では11月なのでマニアックな人がMSDOSとかWindows3.1とかを知ってはいたけど、インターネットまでは日本ですらやっている人はあまりいない時代ですからね。

 ですから、ジャック・マーが「中国企業の資料を英語に直してアメリカにてネットに掲載してもらってますよ」っていっても中国企業からすれば確認する術がないんです。わざわざアメリカまで行ってネットを見るわけにもいかないので、ネットの画面をプリントアウトして中国企業に見せるわけですが、信じてもらえません。本当にネットに自分の企業が掲載されているかどうか、胡散臭いプリントされた紙を見せられるだけですからね。

 しかし、時代は、すぐに追いついてきます。中国でも上海にインターネット回線が開通するのです。まだ、当時は電話回線を使ってネットに接続する時代ですけどね。しかし、これでネットに掲載されている企業のホームページを実際に確認させることができるようになり、飛躍的に事業は発展していきます。

 しかし、その後、ライバル企業が現れることになります。杭州電話という資本金2億4000万元という大きな国営企業が登場するんです。結局、1996年にジャック・マーの会社は吸収合併され、ジャック・マーは合併企業を抜けることにします。一応、合併企業の株の30パーセントを持っていたんですけどね、半分以上ないと決定権がないのでやめてしまったわけです。

 その後、中国政府からの勧誘で中国国債電子商取引センターの部長となりますが、それもやめ、1999年に新たな事業に乗り出します。

 それが、「
アリババ」です。

 アリババの事業を始めるきっかけは万里の長城に旅行に行ったときにヒントを得たとジャック・マーは言っています。

 万里の長城のレンガには落書きがしてあるところがあるんです。まぁ、本当は絶対ダメなんですけどね。日本でもトイレとかに誰々♥みたいなのが書いてあったりしますよね。あれを見て、これは、電子掲示板と同じだと思ったそうです。アリババとは、本来は、電子掲示板であり、そこに売りたいものや買いたいものを張り付けられるようにしたものが始まりなんですね。

 ところでアリババという名前。アリババと40人の盗賊のお話で有名ですけど、中国っぽくないですね。なんでアリババなのか?

 まず、世界中で通用する誰もが知っている名前であること。そして、当時は、ネットの検索機能が充実しておらず、検索するとアルファベット順に出てきたんです。だとすれば、Aから始まる名前が有利なので「アリババ」にしたのです。「Amazon」もそうですね。なんでアマゾンなのよ。って感じですけど、そっちもそういった事情があったわけです。

 しかし、新たな事業を始めるには資金が必要。アメリカのゴールドマン・サックスから1999年10月に500万ドルの資金提供を受けますが、その直後にやってきたのが、ソフトバンクの孫正義さんでした。

 ジャック・マーが事業の説明すると、そのわずか6分後には4000万ドルを出資すると孫正義さんが言い出します。アメリカの投資企業ゴールド・マンサックスの10倍以上の金額です。もちろん、事業を始めたばかりですので資金はいくらでも欲しかったでしょうが、あまりに出資が多すぎると孫さんに発言権を大きくとられてしまうと考えたのでしょう。もっと、出資を減らしてくれと普通ではありえない逆の提案がジャック・マーの口から出てきます。

 結局は2000万ドルで落ち着きますが、孫さんの目に狂いはなく、2014年アリババはニューヨーク証券取引所に上場。この時の孫さんの含み益はなんと8兆円ほどです!

 ソフトバンクにも大きな利益をもたらすことになったアリババ。

 現在のジャック・マーは新たな事業の展開も示唆に入れているような発言も出ており、今後の活躍にさらなる期待です。