歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記歴史の真実大仙古墳は最近まで仁徳天皇陵と呼ばれていた! 

   

大仙古墳は最近まで仁徳天皇陵と呼ばれていた! 

 
 
お父さんやお母さんに「大仙古墳」と言っても頭に???のマークが出てしまいます。なぜか?

 お父さんやお母さんの時代には「大仙古墳」の事を
「仁徳天皇陵」と学校で教わってきたのです。なんで今更、教科書に載っている古墳の名前を変える必要があったのでしょうか?

 大阪府堺市には3つの天皇陵が存在します。古い資料には、仁徳(じんとく)、履中(りちゅう)、反正(はんぜん)と3代に続く天皇がそこに眠ると記載されており、そこから判断して中央に位置するのが仁徳天皇陵、南に位置するのが履中天皇陵、北に位置するのが反正天皇陵とみなされておりました。


 よって、10年ほど前まで日本最大の前方後円墳を「仁徳天皇陵」と教わってきたのです。
 
(出典元:国土交通省

 ところが、埋葬されている埴輪をよく調べて見たところ、中央の仁徳天皇陵とされていた古墳よりも南に位置する履中天皇陵の方が年代が古いのではないか?ということになったのです。・・・となると、仁徳天皇の息子であるはずの履中天皇の方が古い古墳に眠っている?おかしい???と議論がなされることとなります。

 また、仁徳天皇陵とされていた古墳が作られたのは5世紀中ごろから後半であろうと推測できます。仁徳天皇がお亡くなりになった年は正確にはわからないものの、それでも古墳が作られた時期とは若干ずれているのでは?

 そういった調査や議論の結果、そこに眠るのは仁徳天皇とは断定できない。ということで教科書での呼び名も「仁徳天皇陵」から「大仙古墳」へと変更されたのです。

 しかしながら、宮内庁では、この古墳を現在も仁徳天皇陵としております。宮内庁管理である、この古墳は大規模な調査が認められていない為、現段階ではかなり、あやふや?な状態ではあるようですが、それもまた想像力を掻き立てられます。調査してみたら「なんだ、やっぱり仁徳天皇じゃん」と再び仁徳天皇陵が教科書に登場し、昔は仁徳天皇陵を大仙古墳と呼んでいたんだよ。・・・なんて時代も来るかもしれません。