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愛新覚羅 溥儀

   

 
愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)とは、朝最後の皇帝で後に日本の傀儡として満州国の皇帝となる人物です。

 それでは、この愛新覚羅 溥儀について、すこし見てみましょう。

 学生さんならお父さん、お母さん世代になるのでしょうか?ジョン・ローンが主演を演じた「ラストエンペラー」という有名な映画があります。1987年度のアカデミー賞で監督賞や作品賞など全9部門を受賞した大作です。溥儀といえば、まずこの「ラストエンペラー」の映画が頭に浮かんでくる方も多いのではないでしょうか?

 1908年。日本の年号でいうと明治41年のことです。僅か2歳で第12代皇帝として溥儀は即位することになります。ところが、6歳の時に辛亥革命により清朝は倒され皇帝の座を下ろされると北京の紫禁城で長い間、幽閉生活を余儀なくされることとなります。

 溥儀が日本との結びつきを強く持つきっかけとなったのが1924年。中国国内でのクーデターにより紫禁城を追われた溥儀は北京の日本大使館に匿われ、翌年に天津の日本租界に移ります。

 この事が日本と溥儀との関係を深めていく始まりとなるわけですが、とはいえ、この時の日本にはまだ溥儀を利用しようなどという魂胆はなかったようです。1923年に日本で起きた関東大震災の時に溥儀が義捐金を送ったことに対する感謝といった意味合いが大きかったようです。

 しかし、1931年に満州事変が起き、日本が満州を占領することになると日本の軍部は溥儀を天津から脱出させ関東軍の庇護下に起きます。満州族(女真族)は、清を興した民族ですね。溥儀も満州族の出身です。

 日本が満州を占領したからといって「じゃ、今後の満州は日本のもので・・・」と言ったところで世界から批判を浴びるのは目に見えているわけです。ですから、日本が考え出した方法は「清朝最後の皇帝である溥儀が今度、新しくできた満州国の皇帝(*1)となります。溥儀はもともと満州族の出身だし、なんの問題もないでしょ?」と世界からの批判を逸らそうと考えたんですね。実際は日本の傀儡国家。つまり、操り人形のような状態で溥儀には行政の権限が一切ありませんでしたが・・・。

 しかし、そんな日本の魂胆は世界各国もお見通し・・・。結局、国際連盟から批判を浴び日本は国際連盟から脱退することになるわけなんですけどね。

 溥儀は1945年の太平洋戦争における日本の敗戦まで満州国の皇帝の座に留まり、その後は皇帝を退位してソ連軍に逮捕されることになります。ただ、日本の軍部のいわれるがままにしていたにすぎないんですけどね。逮捕されてシベリアの強制収容所に送られちゃうんです。

 しかし、その後の東京裁判では、ソ連側の証人として溥儀は出廷して日本の軍(関東軍)を強く批判します。

 1950年には、中国共産党に引き渡された溥儀は政治犯収容所にいれられますが、1959年に釈放。その後は北京植物園の庭師や政治協商会議文史研究委員会の専門委員として勤務し1967年10月17日、文化大革命の最中、北京でその生涯を終えることになります。

*1 満州国は建国時、「執政」を国家元首としていたので溥儀は執政に即位。その後、立憲君主制の国家となったので溥儀は皇帝となった。