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歴史年代ゴロ合わせ暗記>北方領土問題とは?

 

北方領土問題

 
 
さて、今回は北方領土問題について学んでいきたいと思います。

 北方領土問題っていう言葉は、日本に住んでいれば必ず聞いたことのある言葉。しかし、私も含め、多くの日本人がすでに生まれた時から北方領土はソ連(ロシア)の領土となっていたはずです。ですから、意外とこの北方領土問題について知らないことも多いはず・・・。

 では、すこし詳しく、この「北方領土問題」について見ていきましょう。なるべくわかりやく説明しますが、ちょっとだけ長くなるかも・・・。

 では、まず日本がロシアに返してくれ!と、訴えている「北方四島」っていう島ですが、これは国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島のことです。



 上の地図の赤いところがそうですね。おぉ、かなり北海道に近いじゃんって思いますよね。しかも、地図上では、北海道がでかすぎて、小さな島に見えますが実は、結構大きいんです。

 沖縄が1208kuの大きさなんですが、択捉島は3183kuもある。国後だって1499kuの大きさがあるので沖縄より大きいんですよ。

 では、この北方四島はいつから日本の領土だったのか?

 もともと、この地方にはアイヌの人たちが住んでいました。江戸時代になると北海道唯一の藩である松前藩は彼らと交流を持ち交易をしていたといわれています。

 1644年に正保御国絵図」という日本の全領土を記した地図を幕府が作っているんですが、この時、松前藩が幕府に提出した自分の藩の領土であるとする地図には「クナシリ」「エトロフ」など千島列島の島々の名前が記されています。

 

 
 う〜ん。なんか北海道の形が変ですが、まぁ、それはさておき、1800年になると幕府は択捉島に標柱を建てて日本の領土であることを主張します。しかし、それでも当時からロシアとの間で国境をめぐるいざこざが耐えなかったようです。

 ですので1855年に
日露通好条約(下田条約)というのを結ぶことにしました。「択捉島より南は日本の領土ね。それより北はロシアの領土でいいよ。」っていうのを決めたんです。

 一方、樺太っていう大きい島もちょっと西にありますね。この樺太島に対しては、日本もロシアも一歩も引かなかったので、結局、日本、ロシア両国の雑居地という曖昧な状態です。

 曖昧な状態はマズイですね。ってことで1875年に
千島樺太交換条約というのが結ばれました。「樺太島はロシアでいいですよ。でも、その代わり千島列島を全部日本に頂戴。」ってことで話がまとまったんです。

 
そして、1904年に日本とロシアの間で戦争が起こりますね。日露戦争です。1905年にはポーツマス条約が結ばれ、樺太島の南半分が日本のものになりました。
 


千島列島、樺太島 日本とロシア領の移り変わり 
1855年  下田条約により択捉島より南は日本領。それより北はロシア領となる。樺太島に関しては、双方の主張が折り合わず、両国の雑居地に。 
1875年  千島樺太条約により樺太はロシア領に。千島列島は日本の領土になる。 
1904年  ポーツマス条約により樺太島の南半分も日本の領土になる。 

 しか〜し!1941年に太平洋戦争が始まりますね。

 当初、日本とソ連との間には
日ソ中立条約というのがありました。まぁ、お互いに相手の領土には攻め込まないって約束しましょうよってことです。ソ連は、ドイツに攻め込まれた場合、日本にも攻められたら挟み撃ちになっちゃいますからね。日本とはとり合えず争いたくなかったんですね。

 日本としては、できることならソ連を味方にしたかった。

 しかし、ソ連はアメリカのルーズベルト大統領に誘われて日本を攻撃することにします。

 日ソ中立条約の期限は5年だったのですが、1945年4月5日にソ連は日ソ中立条約の不延長を通告。8月8日にはソ連は日本に宣戦布告しソ連軍は満州、南樺太、朝鮮半島に攻め込みました。

 日本にしたら「日ソ中立条約は1946年4月25日まで有効のはずなんですけど!一方的に条約破棄して攻めてこないでよ」ってことですね。

 1945年8月14日に日本はポツダム宣言を受理し無条件降伏。しかし、その後もソ連は侵攻の手を緩めることはせず、8月28日には択捉島に上陸。9月1日には国後島、色丹島に上陸。9月3日には歯舞諸島に侵攻していきました。

 さぁ、なんとなく日本が北方四島をロシアに返してくれって言っている意味がわかってきましたね。樺太や択捉島より北の千島列島は、まぁ、日本だったりロシアの領土だったりしてきた訳ですけど、北方四島に関しては、ず〜っと日本の領土だったでしょ。つまり、「日本固有の領土」ってことです。戦後、条約を破って不法占拠した、この四島をいいかげん返してよってことなんですね。だって、一応「日ソ中立条約」の期限内だった訳ですから。

 ですが、実は北方領土の半分が日本に戻ってくるチャンスが1956年にめぐってきていたんです。日ソ共同宣言によってソ連との国交が正常化した時ですね。ソ連は歯舞、色丹の2島を日本に返すと約束してくれたんです。

 しかし、これには東西冷戦が過熱する状況下でアメリカの一部の政治家も難色を示します。ダレス米国務長官は、「その内、沖縄は返してあげるから、北方四島は一括で返してもらったほうがいいんじゃないですかね」と重光外相に耳打ち・・・。

 まぁ、日本とソ連が仲良しになるのは、アメリカにとってはよろしくないと考える人もいたようですね。冷戦中でしたから・・・。

 結局、当時の状況下では、四島一括返還は実現することはありませんでした。

 あっ、最後にちょっとアメリカの悪口っぽいこと書いてしまいましたが、実は大戦後、ソ連は北海道の北半分が欲しいって、ものすごいことを要求していたんですよ。しかし、これは、ルーズベルトに代わって後を受け継いだトルーマンが拒絶。南樺太と北方四島を含めた千島列島で我慢しなよって提案しました。

 こうゆう事情もあったので戦後は北方四島に対して日本はそれほど強く出なかったという見方をする専門家の人もいるようですね。

 その後も日本は、段階的返還論(まずは、2島返してもらってから、後に残りの2島を返してもらう)などいろいろな案を出してロシアとの交渉を続けています。

 近年、日本に住む我々も、この北方領土問題についての関心が薄れてきているという話も耳にします。今一度、北方領土問題について学びなおしてみましょう。


 
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