歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記アドルフ・ヒトラー

アドルフ・ヒトラー 


 アドルフ・ヒトラーは、1889年4月20日オーストリアにて下級官史の子として生まれます。幼少期のヒトラーは勉強よりも絵を描くのが好きな少年だったといいます。その後、リンツの高等学校を落第。学校をやめたヒトラーは、画家を目指しウィーンに出るも造形美術大学絵画科の試験に2度も失敗し、その後は、人の勧めで建築家を目指すという青年時代をすごしていました。

 ここまでのヒトラーは優等生というよりは、落ちこぼれの部類ですね・・・。しかし、なぜ、この青年が後に独裁者としてドイツの頂点にまで立つことができたのでしょうか?


アドルフ・ヒトラー ヒットラー 

 


 ヒトラーの人生の転機は、第一次世界大戦だったといわれています。

 この頃までのヒトラーは、オーストリアの生まれであるのにハンガリー人やチェコ人などが入り混じるオーストリアの軍隊に入るのはイヤだと徴兵検査から逃れミュンヘンに逃げ込んだり、後にそれがバレ、徴兵検査にかけれれることになるのですが「筋骨はなはだ薄弱」と判断され不合格となったり・・・。

 しかし、第一次世界大戦が始まると「これは、さながら腹立たしい青春時代からの救いであるように思われた。」と後に
『わが闘争』でヒトラー自身が語っているように「この戦争によって自分の人生が変えられる」と天に感謝したといいます。



 戦争が始まるとヒトラーは国籍はオーストリアですがバイエルン連隊(ドイツ)に志願します。この第一次世界大戦で、ヒトラーは伝令兵として活躍。鉄十字一級という立派な勲章を貰います。しかし、階級は上等兵止まり。勲章を得たわりにはちょっと低い身分だといえるかもしれませんね。

 この戦争中にヒトラーは、イギリス軍の毒ガス弾により目をやられパーゼヴァルク病院という陸軍病院で治療を受けることになります。この目の治療中にドイツが大戦に敗てしまうのですが、なぜか、ヒトラーは退院後、急に政治家になるといいだします。

 「なんで急に政治家を目指そうなどと思いたったの???」

 実は、その辺がよくわかっていません。しかし、ヒトラーが受けた治療には催眠術による治療もあったといわれています。ヒトラーの一時的な失明の原因には毒ガスの他に精神的な要素があると判断され催眠術による治療も平行して行われていたんです。この治療に当たっていたのがエドムント・フォルスター博士。彼はヒトラーにどんな催眠術を掛けたのか定かではありませんが、兎に角ヒトラーは退院後に政治家を目指すことを決意するのでした!

 さて、政治家になると決めたヒトラーですが、彼はいったんミュンヘンの連隊に戻りました。その後、ヒトラーは諜報員(スパイ)にスカウトされ、彼の仕事ぶりに満足した上官はヒトラーにドイツ国防軍第四集団司令部の情報科が企画したある講習会のメンバーにヒトラーを選んでくれました。この講習会は、捕虜収容所から帰ってきた兵士に社会主義を憎み、民主主義を吹き込む宣伝活動家を養成しようというもの。ここで生まれて初めてヒトラーは大学の教室にて知識人などの前で演説を行うことになりました。

 第一次世界大戦に敗北したドイツは多額の賠償金を支払わされ、植民地、領土を奪われたことによりドイツ国民のプライドは大いに傷つき、怒りと失望を抱えていた頃。そんな時代にヒトラーの自信に満ち溢れた演説は、見ている者達を興奮の中に引き込む力を持っていました。

 「こいつは使えるぞ!」

 ということで、次にヒトラーに与えられた任務がドイツ労働党の調査でした。ところが、ヒトラーは逆に党の議長アントン・ドレクスラーに感銘を受け、このドイツ労働党に入隊してしまいます。

 このドイツ労働党が後に国民社会主義ドイツ労働党
(ナチス)となるのです。

 ドイツ労働党に入隊してからのヒトラーは、その演説テクニックで大衆を酔わせ、党の中でも頭角をあらわせていくことになります。

 ヒトラーの演説は、冷静沈着に語り始めたかと思えば、演説のピークでは、身振り手振りを使い熱狂的に民衆に訴えかける。この彼の演説テクニックには、当時人気のあった預言者(手品師?)エリック・ヤン・ハヌッセンによるボディランゲージの指導もあったといいます。


 そして、彼の演説での主張は、ベルサイユ条約の破棄、植民地再分配、ユダヤ人の排斥、反共産主義と非常に分かり易いものだったので、おもに市民の心を捉えていくことになります。

 ナチスが支持者を増やしていく中、世界恐慌が起こりました。第一次世界大戦敗戦後のドイツでは、紙幣価値が1兆分の1以下となる凄まじいインフレに見舞われながらも、当時の首相が1兆マルク紙幣を発行し、インフレを脱却するなど復興の道をたどっていたところでしたが、この世界恐慌のため、ドイツではアメリカ資本が次々に引き揚げていくことになります。すると銀行がどんどん破綻していき、企業も倒産、街には600万人ともいわれる失業者で溢れかえるようになるのです。

 こうして資本主義のマイナス面があらわになるとドイツでは、共産党の支持者が増え始めてきました。共産党の支持者が増えるにつれ資本家や保守派の人々は危機感を持つことになります。

 当然のようにナチスの中でも溢れ変える失業者を目にして資本主義を批判する一派もありましたが、ヒトラーは、彼らに断固反対を突きつけます。このヒトラーの姿勢に資本家や財界はナチスに信頼を寄せ資金をつぎ込むようになっていくのです。

 1932年には、ついにナチスが230議席を獲得し第一党に・・・。社会民主党も133議席。共産党も89議席なので2つの党が結束すればナチスに対抗することもできたのですが、この両党は犬猿の仲ともいえたのでそれは不可能。1933年にはついにヒトラーは首相の座につくことになります。

 その後、再び選挙が行われますが、その最中国会議事堂が放火されるという事件が起きました。これをヒトラーは、共産党員の陰謀であるとし共産党幹部を一斉逮捕。その後、ナチスは独裁を強化し立法権を国会から奪い去ったことにより、ナチスは国会の承認を得ることなくすべての法律を制定できるようにして、政党禁止法によりナチス以外の政党をを禁止。国会議員のすべてをナチス党員とするのでした。

 そして、ヒンデンブルク大統領が死ぬと、ヒトラーは大統領の権限を奪い取り、国民投票で89.9%という賛成を得て国家元首となるとついに第一次世界大戦にて失った領土を取り返すべく動き出し、第二次世界大戦へと入っていくのでした。


映画「ヒトラー〜最後の12日間〜  漫画「わが闘争」