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ゲルマン民族大移動


 
ゲルマン民族の大移動は4世紀後半。ローマ帝国の末期頃から本格的に始まります。世界史に興味のない人でもゲルマン民族の大移動は知っている人が多いのではないですか?よく体育の時間などで生徒がいっせいに動くときに「ゲルマン民族の大移動〜♪」って誰かしら言っていたんじゃないかな?

 では、このゲルマン民族の大移動は、なぜ起こったのか?その辺を踏まえて簡単に学んでいってみましょう。

 
ゲルマン民族大移動の原因

 一般的に言われているゲルマン民族の大移動の原因は、
フン族の征西です。フン族というのは、黒海の北方に住んでいたアジア系の遊牧民族です。彼らが西に移動してきたんですね。

 375年にゲルマン人の一派である
東ゴート族はフン族により征服されます。同じくゲルマン人の西ゴート族も圧迫され375年に南下を開始。ローマ帝国領内に移動をします。

 この西ゴート族の移動に触発されるようにして他のゲルマン民族たちも移動を開始。

 
ヴァンダル族は北アフリカまで移動しました。彼らの移動は最長の移動です。ヴァンダル族はかつてのカルタゴの地を中心としてヴァンダル王国(429〜534年)を建国しました。

 
ブルグンド族は現在のフランス東南部に移動ししブルグンド(ブルグント)王国(443〜843年)を建国します。

 
ランゴバルド(ロンバルド)族は北イタリアにランゴバルド王国(568〜774年)を建国しました。

 このようにゲルマン人族の大移動は始まったわけですが、フン族によって押し出されたことだけが、大移動の原因というわけではありません。すでに、人口の増加によって、それまでの土地では食料を供給できなくなっていたというのも大きな要因のひとつです。

 「もう、ここじゃ食べていけないんじゃない?」って言っているときにフン族がやってきて大移動の決定打となったんですね。

 ゲルマン民族の中でも西ゲルマン民族と呼ばれる人々は移動ではなく原住地を維持しながら領土を拡大するというかたちをとっています。まず、
アングロ=サクソン族は南下せずイギリス南部に渡り国を造ります。

 
フランク族は現在のイギリスの対岸にフランク王国(481〜843年)を建国しました。

 
フン族のその後

 では、ゲルマン民族を追い出したフン族は、その後どうなったのでしょうか?

 5世紀の前半に大王アッティラら登場し、彼はパンノニア平原(現在のハンガリー)に大帝国を築きました。そして、されに西征しますが、451年のカタラウヌムの戦いにて西ローマ帝国と西ゴート、フランクの連合軍に敗れ去り、その後アッティラが急死すると帝国は崩壊しました。

 

 西ローマ帝国の滅亡

 さて、かつて栄華を誇ったローマ帝国ですが、その片割れの西ローマ帝国のついに崩壊の時がやってきます。476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされちゃうんです。ローマでやとっていた傭兵のゲルマン人にやられちゃったんですね。

 オドアケルは、当初、東ローマの皇帝に擦り寄る様子を見せていたんですが、やがて東ローマの政治に介入しようとします。すると、東ローマは、これに危機感を抱き、東ゴートの王にオドアケルの討伐を命じ、オドアケルは討たれ、代わりに東ゴートはイタリアの地に東ゴート王国を建国することを東ローマに認めてもらいます。


 う〜ん。ちょっとややこしいですね。まぁ、フン族が西に移動してきたので、もともとそこにいたゲルマン民族は移動せざるを得なくなってしまったんです。そして、476年に西ローマが滅亡。かつてのローマ帝国のあちこちにゲルマン人の王国が建国されることになったということです。

 

 ですが、そのゲルマン人の王国は皆、比較的寿命が短かったんです。6世紀には半分がなくなり、残りの半分も7世紀には滅亡してしまいます。

 唯一、生き残ったのがフランク王国でした。


フランク王国