歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記江戸幕府

   

江戸幕府誕生 

 
 徳川家康(とくがわいえやす)は、1600年、関ヶ原の戦いで石田三成らを破ると1603年には朝廷から征夷大将軍(せいいいたいしょうぐん)に任命され江戸幕府を開きます。

 徳川家康は、関ヶ原の戦いの後、大規模な大名の配置換えを行います。江戸に近い領地には親族や古くからの仲間(親藩、譜代大名)を配置。嘗ての敵や力がある大名は外様大名として江戸から離れた地に配属します。

 また、1615年には南禅寺の僧侶 崇伝(すうでん)に命じて武家、大名が守らなければならない掟を示します。武家諸法度(ぶけしょはっと)です。内容は、『大名が許可なく徒党を組んだり、城を直したり建てたり、結婚したりしてはいけません。やるなら幕府に許可をとってからね』ということ。
     

 この武家諸法度は以後、7代と15代を除き、将軍が変わるごとに出されることになります。有名なのは3代将軍 家光(いえみつ)の時、1635年に出された武家諸法度(寛永令)です。このとき、大名は1年おきに領国と江戸に移り住む参勤交代(さんきんこうたい)が制度化されました。大名の単身赴任みたいなものです。この参勤交代にかかる莫大な費用は大名持ちであった為、大名の経済力が弱まり幕府に反旗を翻すことなどが難しくなり江戸幕府が長期繁栄を築く要因のひとつになったと言われています。

 この武家諸法度と共に朝廷用に出されたものが、
禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)です。幕府は天皇までの行動も制限をかけたのです。

 
さらに1624年にはスペイン船の来航を禁止。1633年、原則海外への渡航及び、海外からの帰国を禁止。そして、1639年にポルトガル船の来航を禁止すると以後、200年に及ぶ鎖国が始まります。この鎖国とは、長崎、薩摩、対馬、松前の4箇所以外では海外との接触が禁止されました。これにより、キリスト教の排除と貿易や海外の情報を幕府自身が管理することができるようになります。(ちなみに、鎖国という言葉は19世紀初頭に作られた造語で当時は国を閉鎖するといった認識はなかったようです)

 これらのシステムにより、戦国の世から一転。江戸幕府は260年もの長きに渡り太平の世を築き上げることになるのです。


江戸幕府について更に詳しく

武家諸法度について

参勤交代について

鎖国とは?

江戸幕府が250年もの間続いた理由