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太宰治


 太宰治は、1909年、青森津軽の大地主である津島家に生まれます。大地主ですので、家庭は裕福。さらに父親は衆議院議員もやっていましたので使用人が30人もいたといいます。しかし、母親は病弱であり、そのため太宰は、乳母や子守に育てられました。

 中学生になる頃にはすでに太宰は作家になることを決めていたそうです。弘前高校に入ると芸妓と付き合ったり、社会主義組織に関わりをもったりしていきます。

 そして、太宰が20歳の時に資産家という自身の出身階級に悩み、睡眠薬による自殺を図ります。しかし、この自殺は失敗。一命をとりとめます。東京帝国大学仏文科に入学した頃には、小説家になるために井伏鱒二に弟子入りしますが、この頃にも女性と心中を図って女性だけ死なせてしまいます。

 このような中、太宰は罪悪感に苛まれながら、左翼活動などにも手を出し、退廃的な生活を送るようになり、遺書としての小説を書き始めます。これが、後に『晩年』としてまとめられたものです。

 1935年。太宰が26歳の時、この時にも3度目の自殺を図りますが失敗。しかし、この年に芥川賞が創設され、太宰治の作品、『逆行』が最終選考にまで残ります。しかし、結果は落選・・・。

 そこで、太宰治は第二回の芥川賞を目指し、選考委員である佐藤春夫に手紙を出しています。

 「~私は、すぐれたる作品を書きました。これから、もっともっとすぐれたる小説を書くことができます。私はもう十年くらい生きていたくてなりません。私は、よい人間です。しっかりして居ますが、いままで運がわるくて、死ぬ一歩手前まで来てしまいました。芥川賞をもらえれば、私は人の情に泣くでしょう。そうして、どんな苦しみとも戦って、生きて行けます。元気がでます。お笑いにならずに私を助けてください~お伺いしたほうがよいでしょうか。何日、何時に来いとおしゃれば、大雪でも大雨でも飛んでまいります~」

 天才、太宰治がこんな手紙を書いていたなんて!とがっかりした方もいるかもしれませんね。元気がでるから芥川賞をくれ!って言っているんですからね。しかし、手紙の最後は、文学者らしい締めくくりで自分の名を書いています。・・・家のない雀 治

 手紙を書いた後は、すぐさま佐藤の家を訪ね、芥川賞をくださいとお願いしますが、当然拒否!結局、太宰は生涯、芥川賞を受賞していません・・・。

 で!なんで、そんなに太宰は芥川賞にこだわったのか?

 実は、友人などに借金をしていたんですね。芥川賞を受賞すれば、名声も富も同時に手に入る!人生逆転のチャンス!!!ってわけでどうしても欲しかったようです。



 芥川賞はとれずとも、その後、太宰治も結婚。作品も明るく透明感のあるものに変わっていきます。『富嶽百景』や『走れメロス』などが当時の作品です。

 この『走れメロス』は、超有名な作品ですね。

 「メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。・・・」

 書き出しの部分です。いきなり、主人公が激怒ところから始まります!!!何が、どうこうなって激怒したという説明をズバッと切り落として、激怒した!から始まるわけです。しかし、メロスは政治がわからぬ???なんか、やばくない?政治しらないのに王様に激怒してんの?って感じですね。まぁ、やはり、すぐさまやばくなります。2ページ目には、すでに「生かしては置けぬ」と王様のいる城へ行き、ソッコーで捕まってしまいますからね。

 この作品も15ページほどの短編ですので読みやすいですし、一般常識として読んでおきましょう。走れメロスにもちょっと面白い話があり、この作品、実は、借金から逃げ惑う自分をモデルにしていたといわれています。

 これは、太宰の親友の檀一雄が書いた『小説 太宰治』の中に書かれています。

 走れメロスでは、主人公のメロスが人を信じない王様に歯向かい処刑を言い渡され、親友のセリヌンティウスを人質として預けて妹の結婚式に向かうわけですが、太宰は、金を借りた人質に親友、壇一雄を預け、借金返済のためお金集めに走り回るわけです。

 ちなみにメロスは、殺されることがわかっていながらも王様のもとに戻り、その厚い友情に心打たれた王様はメロスを許すんですが、太宰は、戻ってきませんでした。壇が探しに行くと知人宅で将棋をして遊んでいたんです・・・。

 まぁ、人間臭くていいですね。

 戦後の太宰は、民主主義の建前の下、国民が戦前のように同じ方向へ流されていくことに疑問を抱き、『トカトントン』で批判。その後、人気作家の仲間入りをすることになり、『斜陽』という当時の交際相手の女性の日記を下敷きとして書いた作品が流行り斜陽族という言葉まで生まれることになります。

 ですが、やがて心身ともに健康さを失っていき1948年に『人間失格』を書きます。これが、最も有名な作品かもしれませんね。タイトルがすでにインパクトをもっております。

 はしがきは、「私は、その男の写真を三葉、見たことがある」で始まり、第一の手記では、「恥の多い生涯を送って来ました。」と始まります。この一行だけでも、グッと読み手を引きつけてしまいますね。

 この作品は、自伝的小説であり、罪と苦悩の姿を自虐的なまでに語っています。

 「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。」

 この作品は、40ページほどありますが、太宰治という作家を知る上では読んでおくべき作品ですね。

 そして、連載中の『グッド・バイ』を遺し、美容師の女性と玉川上水に身を投げました。遺体が発見されたのが6月19日。太宰の39歳の誕生日でした。
 
 なお、太宰治の作品は、楽天KOBOなどのアプリをダウンロードすれば、ほとんどの作品が無料で読めます。それ以外のアプリでも無料で読めるようですが、私は知らないので楽天のものを紹介しておきますね。

 太宰治全集でも300円くらいです。短編が多いので、それほど読むのに時間もかかりません。代表作『人間失格』「走れメロス』『斜陽』『ヴィヨンの妻』あたりは読んでおきましょう。