歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記王政復古の大号令から戊辰戦争まで

 

王政復古の大号令と戊辰戦争

 
 大政奉還により、徳川慶喜は政権を天皇に返します。しかし、まだまだ、徳川家の力は強く、新政府でも発言力は残るはずでした。実際、この時点で幕府は戦ってボロボロになって負けた訳ではなく、そうなる前に大政奉還してしまった訳なので、徳川家は日本一の地主であり、財産もたんまり・・・。

 これは、新しい日本を作っていこうと考えている人にとっては目障りであり、脅威でもある訳です。

 そこで、
王政復古の大号令(天皇を中心とする政治が復活したよ!つまり幕府は完全に廃止しようね。)を掲げ、16歳の明治天皇を中心とする新政府を樹立しました。この時は、徳川慶喜をいったん内大臣という役職につけますが、その後すぐに、職の辞退と持っている領地の返上を慶喜に迫ります。(というか勝手に決めてしまいます)

 これに怒ったのは、旧幕府軍です。「何勝手に決めてんの?俺たちの大将なめてんの?」となってしまいます。

 そして旧幕府軍VS新政府軍が争いを始めることになります。

 慶喜のいる大阪城には、旧幕府軍、会津、桑名などの藩の兵が次々につめかけ、なんと1万5000もの軍となり、大阪から京都に向け動き出していきます。

 その途中、鳥羽と伏見で新政府軍と遭遇、1866年の
鳥羽伏見の戦い(とばふしみのたたかい)といって、この時旧幕府軍は15000に対して新政府の軍は5000。しかし、なんとこの戦い、新政府軍が勝利してしまうのです。この軍隊の差を埋めたのは、なんと旗だったといわれています。新政府軍が掲げていたのは錦の御旗(にしきのみはた)といって天皇のために戦う軍隊の旗。「薩摩藩や長州藩などとはいくらでも戦ってやるぞ」という意気込みの旧幕府軍もさすがに天皇の敵と認識させられてしまうと動揺が隠せなかったようです。この戦いで敗れた旧幕府軍はその後も完全に天皇の敵であるとされ、新政府軍と戦いを繰り返していくことになります。これら新政府軍と旧幕府軍の戦いを戊辰戦争(ぼしんせんそう)と言います。

 鳥羽伏見の戦いに敗れた旧幕府軍は江戸(自分達の地元)に向かって逃げていきます。当然、新政府軍はそれを追い、いよいよ江戸にて大決戦か!と思われましたが、この戦いは二人の英雄によって回避されます。

 新政府の
西郷隆盛(さいごう たかもり)と元幕府の勝海舟(かつ かいしゅう)です。

 この2人は以前にも会談しており、西郷隆盛にしてみたら、勝海舟は新政権の構想を教示された恩人でもあります。

 この2人の会談により、
江戸の無血開城(戦わずして江戸城は新政府軍に渡します)が実現するのでした。これにより、当時でも人口100万人の大都会である江戸を戦場とし多くの人を戦火に巻き込むという最悪の事態は避けることができることになったのです。

 しかし、旧幕府軍の中には、この勝海舟の考えに当然、納得できない人たちも多くいました。そりゃそうです。日本という国にとってはすばらしい決断であっても旧幕府軍にしたら、かつての本拠地を戦わずしてのっとられてしまった訳ですから・・・。そして、彼らは江戸を後にし東北又は北海道へと向かって行きます。

 東北には、幕末、最後まで幕府軍として薩長と戦った会津藩があります。会津をはじめ東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結んで、激しい戦いを繰り広げますが、新政府軍の猛攻に次々に敗北、ついには会津藩も降伏します。この会津藩では、白虎隊の悲劇が有名ですね。


(会津・鶴ヶ城)
少年兵で編成された白虎隊はこの城が焼け落ちたと勘違いし、次々に自害していってしまう。


 そして、江戸から北海道へと向かった旧幕府軍は、1868年、
榎本武明(えのもと たけあき)は土方歳三(ひじかた としぞう)らと共に函館の五稜郭を占拠します。しかし、こちらも新政府軍により降伏させら、ついに1年半に及ぶ旧幕府軍VS新政府軍の戦い、戊辰戦争は終結しました。

 そして、この後、明治政府による本格的な政治が始まっていくことになるのです。
 


戊辰戦争について更に詳しく


鳥羽伏見の戦い

江戸の無血開城

五箇条の御誓文と五榜の掲示