歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記>ビル・ゲイツ

ビルゲイツ


 世界のお金持ちといえば、真っ先にこの人の名前が頭に浮かぶ人も多いのではないでしょうか?ビル・ゲイツ。その総資産は2017年の時点で900億ドル!日本円にすると10兆円を超える額です。

 ビルゲイツといえば、マイクロソフト。Windowsですね。ビルゲイツが成功した要因は、コンピュータのプログラミング技術だと思っている方も多いでしょう。まぁ、それもあるんですけどね。しかし、本当に彼がすごいのはビジネスセンスだといってもいいでしょう。



 ビル・ゲイツの本名は、ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世です。ぜんぜん「ビル」入ってませんね。「ビル」っていうのは、ウィリアムの愛称で、ビル・クリントンなんかも本当の名前はウィリアムなんです。ウィリアムってちょっとお堅いイメージがあるみたいでビルの愛称を使う人が多いといいます。

 その彼が生まれたのは1955年10月。ワシントン州シアトルで産声をあげました。ビルゲイツの本名がウィリアム・ヘンリー・ゲイツ”3世”ですので父も祖父も同じ名前なんですが、実は、その祖父の父も同じ名前。ですから、本当は4世なんですけどね。なぜか、ゲイツの父がゲイツ・ジュニアと呼ばれていたので、3世となりました。

 父は弁護士。母は元教師という家庭。小学校は公立でしたが、中学、高校は私立のレイクサイド中学、高校に通うことになります。成績優秀な子供が集まる名門校です。

 この学校でビルゲイツは初めてコンピューターと出会うことになります。まだ、学校に生徒が触れることのできるコンピューターがあるなんて、考えられない時代ですね。でも、名門だけあって、この学校には寄付金によって導入されていたんです。

 ビルが13歳の時でここで2歳年上のポール・アレンとも出会うことになります。後にマイクロソフトを立ち上げる二人ですね。

 高校生になると会社を作り、州政府に交通量計測システムを売り込んだり、給与計算システムを作ったりしています。

 1973年にビルゲイツはハーバード大学に入学。その頃、ワシントン州大学を休学していたポール・アレンは、コンピューター関係の仕事を始めようと考えていました。

 その頃、小型コンピューターが発売されます。それまでは、巨大なコンピューターの時代でしたが、ついに個人で利用できる小型のコンピューターが市販されたのです。

 アルテア8800というコンピュータ―でしたが、それを動かすプログラムは当時まだありませんでした。まぁ、CPUとマザーボードと箱だけを販売していた状態といえばわかりやすいですかね。

 それでも、当時の巨大なパソコンの価格とは2桁違う価格、395ドルという価格だったこともあり(それでも高額ですが)、アルテアは入手困難状態となります。

 アルテアを動かせるソフトを開発できれば儲かると考えていたビルゲイツとポール・アレンでしたが、そもそも入手できないんです。そこで、二人は説明書と発表されているデータを手掛かりにアルテアを動かすBASICソフトを開発させるのです。

 ビルゲイツは大学2年の時にポール・アレンと会社を設立します。1975年6月。これがマイクロソフト社です。

 このマイクロソフト社はアルテアを開発したMITS社と契約を結びます。小型コンピューターを動かすためのソフトの使用権利を貸し与え、1つ売れるたびにライセンス料金が入る契約を結んびました。

 一般的な考えですとMITS社にソフトを販売してしまいそうですよね。しかし、ビルゲイツはライセンス契約にしたんです。そうすることで1つ売れるごとに少額ですがお金がマイクロソフトに入ってきます。やがて、パソコンが普及すれば、たとえ1つ1つの額は小さくても将来に渡りお金が入ってくることになりやがて巨額の額となるであろうことを予測していたんでしょうね。

 ハーバード大学3年生の時にビルゲイツは大学をでることを決意。事業に専念することにします。

 そして、あのIBMからの仕事の依頼がくることになります。OSを開発してほしいというのです。当時のIBMは企業用の大型コンピューターを作っていました。しかし、個人で使用できるコンピューターのブームが来ることは確実。アップル社も独自規格のパソコンを開発しIBMも焦りが出ていました。

 そこで、OSの自社開発を断念し、マイクロソフトに依頼が来たわけです。

 しかし、納期が3カ月以内・・・。かなり厳しい条件です。1から作っていたら間に合わないと判断し、シアトル・コンピューター・プロダクツが開発したQDOSを買い取り、それをIBMのパソコン用のOSに改良し、PC-DOSの名前でIBMに納品しました。それでも3ヵ月の納品期限には間に合いませんでしたけどね。

 このPC-DOSも売却するのではなくライセンス契約。1つ売れるごとにマイクロソフトにお金が入ってくる仕組みです。そして、PC-DOSにマイクロソフトのMSを付けたMS-DOSを開発。これを他社とライセンス契約を結ぶこともIBMに了承させました。

 そして、このIBM社は太っ腹というか、IBMのパソコンの仕様書を公開するのです。どういった部品を使っているか自社がお金を掛けて開発した内容を公開しちゃうんですね。

 IBMの意図としては、そうすることでソフト会社がいろいろな実用的なソフトフェアを開発してくれる。そうすれば、顧客がパソコンっていろいろなことができるらしいとパソコンに興味を持つ。よって、IBMのパソコンも売れるという仕組み。

 その狙いは見事に当たり、IBMのパソコンは売れまくります。そして、IBMの仕様書を参考に他社も同じシステムの互換機を売り出します。

 同じ互換機ですから、マイクロソフトのMS-DOSが動くわけです。ですからIBMのパソコンが売れようが、他社の互換機が売れようがMS-DOSが使えるパソコンなら売れるたびにマイクロソフトにお金が入ってくるんです。

 しか~し!OSを開発していたのは、何もマイクロソフトだけではありません。他社のOSもあったわけですので、何も他社の互換機はMS-DOSでなくてもよかったわけです。でも、結果として他社の互換機もそのほとんどがMS-DOSを選ぶことになります。なぜか?実は、マイクロソフトは、ここが踏ん張りどころ!と他のOSよりも価格を安くしていたんですね。

 ただし、この時代のOSっていうのは、まぁ、プログラムです。真っ黒の画面に英語のプログラムを打ち込んでパソコンを動かす。ある程度の知識がないと動かすことしかできませんので、まだまだ一般的に普及しているレベルではありませんでした。

 そのパソコンが爆発的に売れるきっかけとなったのがWindows95です。それ以前にもWindows3.1というのがヒットしていましたが、Windows95は秋葉原のお店に長蛇の列ができるレベル。しかも、深夜の0時に発売開始ということでマスコミなどでも大きく取り上げられます。

 このWindows95では、インターネットエクスプローラーを標準搭載。インターネットに接続することが容易なOSということで世界中から注目を集めます。

 インターネットって何じゃ?と今までパソコンに興味がなかった人までもが「なんだか、これからはパソコンができないとダメらしい」ということで子供のためにとか仕事のためにとこぞってパソコンを買っていったのです。

 現在のビルゲイツは2000年にCEOの職を譲り、会長職に。その会長職も2014年には退いて「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」(メリンダはゲイツの奥さん)にて慈善活動に尽力しています。