歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記中世ヨーロッパの歴史バラ戦争


 

バラ戦争


 
バラ戦争とは、イギリスで起きた王位継承をめぐる大貴族の内乱のことをいいます。これが始まったのが1455年。おっと、イギリスは、そのちょっと前までフランスと百年戦争をしていますね。百年戦争の終結が1453年ですので、ほんとそのすぐ後です。

 では、このバラ戦争とは何が原因で起こり、どのような影響を及ぼしたのか?を見ていきましょう。

 当時のイギリスの大貴族たちは、百年戦争を終えたばかり。百年戦争は、最終的にジャンヌダルクらの活躍によってフランスに大逆転を許してしまいましたね。スポーツなんかでもそうでしょうが、大逆転での負けというのはショックが大きいものです。勝利を目前にしながら、それが逃げていちゃうわけですからね。

 そんなこんなでイギリスでは、国王ヘンリー6世を疑問視する声が上がってくるんです。「ヘンリー6世よりもヨーク公リチャードの方が国王にふさわしいんじゃない?」っていう動きが見え始めるのです。

 そして、イギリスでは、ヘンリー6世を推す
ランカスター派とヨーク公リチャードを推すヨーク派での内乱が始まります。

 ランカスター家の家紋が赤いバラでヨーク家の家紋が白いバラであったといわれ、そのことから、この内乱をバラ戦争といいます。

 このバラ戦争はちょっとややこしいんですけど、ざっくり説明しますね。

 まず、1459年にブロア=ヒースの戦いによりヨーク派が勝利をおさめます。しかし、その翌年にウェイクフィールドの戦いが起きリチャードが死んじゃうんです。

 彼のを継いだのは、彼の息子エドワード。このエドワードがエドワード4世として即位します。

 しかし、このエドワード4世は婚姻をめぐって側近と対立してしまいます。その側近は「やってられん!」ってことでランカスター派に寝返り、エドワード4世は国外追放されてしまいました。これが1470年。このことにより、ヘンリー6世は再び王位に返り咲くことになりました。

 しかし、エドワード4世は、まだ諦めていなかったんですね。すぐに攻撃に転じて、なんとランカスター派を打ち破るんです。ヘンリー6世はロンドン塔に幽閉されて亡くなってしまいます。

 そんなエドワード4世も1483年に亡くなってしまいます。後を継いだのはエドワード5世。彼は、まだ幼かったので叔父が実権を握りるのですが、その叔父によってエドワード5世はロンドン塔に幽閉。その叔父は、リチャード3世として即位してしまいます。

 ですが、ここで再びランカスター派の登場です。フランスに逃れていたランカスター派のヘンリー・テューダーが戦いを挑みリチャード3世は戦死。ヘンリー・テューダーは、ヘンリー7世として即位します。ヘンリー7世は、その翌年、エドワード4世の娘と結婚。ヨーク家と結婚することにより、ヨーク家とランカスター家の争いは終結。バラ戦争は終わりを告げることになります。1485年のことです。

 なんか、同じような名前が出てくるのでグチャグチャになりそうですが、ゆっくり読んでもらえれば理解できると思います。

 しかし、学生さんですと、バラ戦争の過程より、バラ戦争による影響の方がテストで問われることが多いですかね。バラ戦争による影響は、大貴族たちの没落といえます。

 バラ戦争はランカスター家とヨーク家の対立ですが、多くの大貴族が巻き込まれましたからね。それが、30年も続いたんですから、多くが自滅してしまいました。

 かわりに中小貴族たちや商人、ヨーマンといわれる独立自営農民らが力を付けていく事になります。彼らのことをジェントリといったりしますね。簡単にいえば地主という意味です。貧乏貴族や商人や農民らが地主となって発言力を強めて言ったんです。

 そして、大貴族の勢力がなくなった分、国王の権力は強くなるんですね。ヘンリー7世は、バラ戦争を終わらせ、自分に歯向かう貴族らを粉砕しながら王権を着実に強化していくことになりますよ。

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